・・・堅田隧道の前を左に小径をきり坂を越ゆれば一軒の農家、山の麓にあり。一個の男、一個の妻、二個の少女麦の肥料を丸めいたり。少年あり、藁を積み重ねし間より頭を出して四人の者が余念なく仕事するを余念なくながめいたり。渡頭を渡りて広き野に出ず。野は麦・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・ 爪先あがりの小径を斜めに、山の尾を横ぎって登ると、登りつめたところがつの字崎の背の一部になっていて左右が海である、それよりこの小径が二つに分かれて一は崎の背を通してその極端に至り一は山のむこうに下りてなの字浦に出る。この三派の路の集ま・・・ 国木田独歩 「鹿狩り」
・・・ されば君もし、一の小径を往き、たちまち三条に分かるる処に出たなら困るに及ばない、君の杖を立ててその倒れたほうに往きたまえ。あるいはその路が君を小さな林に導く。林の中ごろに到ってまた二つに分かれたら、その小なる路を撰んでみたまえ。あるい・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・ 二 倫理的憧憬と恋愛 性の目ざめと同時に善への憧憬が呼びさまされるということは何という不思議な、そしてたのもしいことであろう。これが青年の健康性の標徴だ。ヒューマニティーの根源だ。この二つのものは同時に起こるだけで・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・ 私の青春の悩みと憧憬と宗教的情操とがいっぱいにあの中に盛られている。うるおいと感傷との豊かな点では私はまれな作品だろうと思う。あれをセンチメンタルだと評する人もあるが、あの中には「運命に毀たれぬ確かなもの」を追求しようとする強い意志が・・・ 倉田百三 「『出家とその弟子』の追憶」
・・・ 処女は処女としての憧憬と悩みのままに、妻や、母は家庭や、育児の務めや、煩いの中に、職業婦人は生活の分裂と塵労とのうちに、生活を噛みしめ、耐え忍びよりよきを望みつつ、信仰を求めて行くべきである。 信仰を求める誠さえ失わないならば、ど・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・これは、もとより片方しかなかった鐙を、深草で値を付けさせて置いて、捷径のまわり道をして同じその鐙を京橋の他の店へ埋めて置いて金八に掘出させたのだ。心さえ急かねば謀られる訳はないが、他人にして遣られぬ前にというのと、なまじ前に熟視していて、テ・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・上州の新町にて汽車を下り、藤岡より鬼石にかかり、渡良瀬川を渡りて秩父に入るの一路もまた小径にあらざれど、東京よりせんにはあまりに迂遠かるべし。我野、川越、熊谷、深谷、本庄、新町以上合せて六路の中、熊谷よりする路こそ大方は荒川に沿いたれば、我・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・低く円るく刈り込まれた松の木が、青々とした綺麗な芝生の上に何本も植えられていて、その間の小径の、あちこちに赤い着物が蹲んで、延び過ぎた草を呑気そうに摘んでいた。黒いゲートルを巻いた、ゴム足袋の看守が両手を後にまわして、その側をブラ/\しなが・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・木下繁ももはや故人だが、一時は研究所あたりに集まる青年美術家の憧憬の的となった画家で、みんなから早い病死を惜しまれた人だ。 その時になって見ると、新しいものを求めて熱狂するような三郎の気質が、なんとなく私の胸にまとまって浮かんで来た。ど・・・ 島崎藤村 「嵐」
出典:青空文庫