・・・いまより十年を過ぎなば、童子は一家の主人となりて業を営み、女子は嫁して子を生み、生産の業、世間に繁昌し、子を教うるの道、家に行われ、人間の幸福、何物かこれに比すべけん。今年すでに一万五千の数あり、明年に至らば、また増して三万となり、他の府県・・・ 福沢諭吉 「京都学校の記」
・・・際は、ただ文字の一方に偏し、いやしくもよく書を読み字を書く者あれば、これを最上として、試験の点数はもちろん、世の毀誉もまた、これにしたがい、よく難字を解しよく字を書くものを視て、神童なり学者なりとして称賛するがゆえに、教師たる者も、たとえ心・・・ 福沢諭吉 「文明教育論」
・・・ 左れば自国の衰頽に際し、敵に対して固より勝算なき場合にても、千辛万苦、力のあらん限りを尽し、いよいよ勝敗の極に至りて始めて和を講ずるか、もしくは死を決するは立国の公道にして、国民が国に報ずるの義務と称すべきものなり。すなわち俗にいう瘠・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・神学者にでも言わせようものなら、「生産的静思」なんぞと云うだろう。そう云う態度に自身を置くことが出来るように、この男は修養しているのである。オオビュルナン先生はこんな風に考えている。もっともそれは先生だけの考えかも知れない。文人は年を取るに・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・歌人として彼を賞賛するに千言万語を費すとも過賛にはあらざるべし。しかれども彼の和歌をもってこれを俳句に比せんか。彼はほとんど作家と称せらるるだけの価値をも有せざるべし。彼が新言語を用うるに先だつ百四、五十年前に芭蕉一派の俳人は、彼が用いしよ・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・元来墓地には制限を置かねばならぬというのが我輩の持論だが、今日のように人口が繁殖して来る際に墓地の如き不生産的地所が殖えるというのは厄介極まる話だ。何も墓地を広くしないからッて死者に対する礼を欠くという訳はない。華族が一人死ぬると長屋の十軒・・・ 正岡子規 「墓」
・・・それは名づけて生産体操となすべきじゃ。従来の不生産式体操と自ら撰を異にするじゃ。」特務曹長「閣下、何とぞその訓練をいただきたくあります。」大将「ふん。それはもちろんよろしい。いいか。では、集れっ。(総ション。右ぃ習え。直れっ・・・ 宮沢賢治 「饑餓陣営」
・・・ことしの夏、雨といっしょに、硝酸アムモニヤをみなさんの沼ばたけや蔬菜ばたけに降らせますから、肥料を使うかたは、その分を入れて計算してください。分量は百メートル四方につき百二十キログラムです。雨もすこしは降らせます。旱魃の際には、・・・ 宮沢賢治 「グスコーブドリの伝記」
・・・もし、この広大な稲田全体が、いつわりない農民の生産として、それを作る農民の生活にもかえってゆくものならば、どうして、秋田、山形の農家はこんなに小さい屋根屋根の下にかがまっていて、しかも地主らしい堂々たる家構が見当らないのだろう。一坪でも、そ・・・ 宮本百合子 「青田は果なし」
・・・例えば技術詮衡部衛生部その他重要な生産計画部、文化部などがあって、どんな大工場の管理者でもこの工場委員会の決定に従って行動しなければならないようになっている。ブルジョア・地主の工場のように、社長、重役とか主任とか監督とか、威張って搾るばかり・・・ 宮本百合子 「明るい工場」
出典:青空文庫