・・・などいえるに比すれば句勢に霄壌の差あり。緇素月見樒つみ鷹すゑ道をかへゆけど見るは一つの野路の月影 この歌は『古今』よりも劣りたる調子なり。かくのごとき理屈の歌は「月を見る」というような尋常の句法を用いて結ぶ方よろ・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・この、無垢清浄、玉のようなお七を大悪人と呼ぶ馬鹿もあるであろう。けれどお七の心の中には賢もなく愚もなく善もなく悪もなく人間もなく世間もなく天地万象もなく、乃至思慮も分別もなくなって居る。ある者はただ一人の、神のような恋人とそれに附随して居る・・・ 正岡子規 「恋」
・・・寂として客の絶間の牡丹かな蕭条として石に日の入る枯野かなのごときは「しんとして」「淋しさは」など置きたると大差なけれど、なお漢語の方適切なるべし。 第三は支那の成語を用うるものにして、こは成語を用いたるがために興ある・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・雪にあたれば症状が悪変します。じっとしているのはなおさらよろしくありません。それよりは、その、精神的に眼をつむって観念するのがいいでしょう、わがこの恐れるところの死なるものは、そもそも何であるか、その本質はいかん、生死巌頭に立って、おかしい・・・ 宮沢賢治 「楢ノ木大学士の野宿」
・・・唯願うらくはかの如来大慈大悲我が小願の中に於て大神力を現じ給い妄言綺語の淤泥を化して光明顕色の浄瑠璃となし、浮華の中より清浄の青蓮華を開かしめ給わんことを。至心欲願、南無仏南無仏南無仏。 爾の時に疾翔大力、爾迦夷に告げて曰く、諦に聴け諦・・・ 宮沢賢治 「二十六夜」
・・・ 彼の最も清浄な、涙組むまで美くしい心のあふれ出た「獄中記」の中で、「基督は、何者にもまして個人主義者の最高の位置を占むべき人である」と云うて居る。 真の箇人主義は斯くあるべきではないか。 私の云う霊を失った哀れなる亡霊の多・・・ 宮本百合子 「大いなるもの」
・・・私たちの生活で何が大切か、私の勉強について差入れがその差しつかえとなるようなことを、あなたはちっとも希望していらっしゃらないのだし、そんなことを又私もするような小乗的態度ではない、なくてよいのであるということを。 詩人だったひとは、持病・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・不治を覚悟しての床上で詠んだ、複雑な、又徹底した、その人のその境地を外にしては詠めないと思われる歌が実に多い。 更にいたましいのは、全生病院の患者の歌である。中には、事と心と相伴って、沈痛な、深刻な、全く他には見られない歌がある。 ・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・母はかくて母の清浄を守り、あなたのふるさとなる躯を、病と貧との中で、清く静かに生かして来た。これからも私に変りはないであろう。」『静かなる愛』はそういう特別な女の心、母の心の露が生活の朝夕にたまった泉のような詩集である。病みぬいた魂・・・ 宮本百合子 「『静かなる愛』と『諸国の天女』」
・・・ 転向文学と云われた作品はそれぞれの型の血液を流したが、それは健康恢復のための射血ではなくて、時代の壊血症状というべき実況であったから、いかにその懺悔に痛痒き感覚を刺戟されたとしても、これまた新しい生活への飛躍の足がかりとはなり難い本質・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
出典:青空文庫