・・・その茶色の古畳の上にも、ベッドの上にも机の上にも、竹すだれで遮りきれない午後の西日が夕方まで暑気に燃えていた。その座敷は、目には見えないほこりが焦げる匂いがしていた。救いようなく空気は乾燥していた。そして、西日は実に眩しかった。 それは・・・ 宮本百合子 「風知草」
・・・ やがてそろそろ朝日に暑気が加って肌に感じられる時刻になると、白いルバーシカ、白い丸帽子やハンティングが現れ、若い娘たちの派手な色のスカートも翻って、胡瓜の青さ、トマトの赤さ、西瓜のゆたかな山が到るところで目について来る。 ロシヤの・・・ 宮本百合子 「モスクワ」
・・・稀に願届なぞがいれば、書記に頼む。それは陸軍に出てから病気引籠をしたことがないという位だから、めったにいらない。 人から来た手紙で、返事をしなくてはならないのは、図嚢の中に入れているのだから、それを出して片端から返事を書くのである。東京・・・ 森鴎外 「鶏」
・・・しかし驚くべき事は三十歳の青年が自然主義の初期にすでにゾラを追い越しモウパッサンの先を歩いていたことである。題目とねらい所は両者ほとんど同じで、構図さえも似かよっているが、ゾラの百ページを費やす所は彼の筆によればわずかに二三十ページで済む。・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
・・・であるならば、『多胡辰敬家訓』などと同じ古さのものとして取り扱われなくてはならないが、しかしそれに対する批判はすでに十八世紀の初め、宝永のころから行なわれているのであって、それによると著者は、江戸時代初期の軍学者小幡勘兵衛景憲であろうと推定・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・ 大正三年ごろの木曜会は、初期とはだいぶ様子が違って来ていたのであろうと思うが、私にはっきりと目についたのは、集まる連中のなかの断層であった。古顔の連中は一高や大学で漱石に教わった人たちであるが、その中で大学の卒業年度の最もあとなのは安・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
出典:青空文庫