・・・そして初冬の時雨はもう霰となって軒をはしった。 霰はあとからあとへ黒い屋根瓦を打ってはころころ転がった。トタン屋根を撲つ音。やつでの葉を弾く音。枯草に消える音。やがてサアーというそれが世間に降っている音がきこえ出す。と、白い冬の面紗を破・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・ げに初冬の朝なるかな。 田面に水あふれ、林影倒に映れり」十二月二日――「今朝霜、雪のごとく朝日にきらめきてみごとなり。しばらくして薄雲かかり日光寒し」同二十二日――「雪初めて降る」三十年一月十三日――「夜更けぬ。風死し・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・化学、天文学、医学、数学なども、その歴史の初頭においては魔法と関係を有しているといって宜しかろう。 従って魔法を分類したならば、哲学くさい幽玄高遠なものから、手づまのような卑小浅陋なものまで、何程の種類と段階とがあるか知れない。 で・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・あの初冬の若葉は一年を通して樹木の世界を見る最も美わしいものの一つだ。「冬」はその年も槇の緑葉だの、紅い実を垂れた万両なぞを私に指して見せた。万両の実には白もある。ああいう濃い珠のような光沢は冬季でなければ見られない。あのの樹を御覧と云って・・・ 島崎藤村 「三人の訪問者」
・・・もっと自由な立場で、極く初等的な万人むきの解析概論の出ることを、切に、希望している次第であります。」めちゃめちゃである。これで末弟の物語は、終ったのである。 座が少し白けたほどである。どうにも、話の、つぎほが無かった。皆、まじめになって・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・ひとから、注意されないうちは、晩秋、初冬、厳寒、平気な顔して夏の白いシャツを黙って着ている。 私は、腕をのばし、机のわきの本棚から、或る日本の作家の、短篇集を取出し、口を、ヘの字型に結んだ。何か、顕微鏡的な研究でもはじめるように、ものも・・・ 太宰治 「懶惰の歌留多」
・・・普通の初等物理学教科書などには弦が独立した振動体であるようなことになっているが、あれも厳密に言えば弦も楽器全体も弓も演奏者の手もおよそ引っくるめた一つの系統として考えるほうがほんとうだと自分には思われる。そうして音の振動数は主として弦で決定・・・ 寺田寅彦 「「手首」の問題」
・・・もっともこの点では英国諸島はきわめて類似の位置にあるが、しかし大陸の西側と東側とでは大気ならびに海流の循環の影響でいろいろな相違のあることが気候学者によってとうに注意されている。どちらかと言えば日本のように大陸の東側、大洋の西側の国は気候的・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・眩しくなった眼を室内へ移して鴨居を見ると、ここにも初冬の「森の絵」の額が薄ら寒く懸っている。 中景の右の方は樫か何かの森で、灰色をした逞しい大きな幹はスクスクと立ち並んで次第に暗い奥の方へつづく。隙間もない茂りの緑は霜にややさびて得も云・・・ 寺田寅彦 「森の絵」
・・・ 寺の太鼓が鳴り出した。初冬の日はもう斜である。 わたくしは遂に海を見ず、その日は腑甲斐なく踵をかえした。昭和廿二年十二月 永井荷風 「葛飾土産」
出典:青空文庫