・・・れゆえ、これから私が、この選集の全巻の解説をするに当っても、その個々の作品にまつわる私自身の追憶、或いは、井伏さんがその作品を製作していらっしゃるところに偶然私がお伺いして、その折の井伏さんの情景など記すにとどめるつもりであって、そのほうが・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・結局、日記帳は買い求めても、漫画をかいたり、友人の住所などを書き入れるくらいのもので、日々の出来事を記すことはできない。けれども、家の者は、何やら小さい手帖に日記をつけている様子であるから、これを借りて、それに私の註釈をつけようと決心したの・・・ 太宰治 「作家の像」
序編には、女優高野幸代の女優に至る以前を記す。 昔の話である。須々木乙彦は古着屋へはいって、君のところに黒の無地の羽織はないか、と言った。「セルなら、ございます。」昭和五年の十月二十日、東京の街路樹の葉は・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・とにかく同じような事を二度は書きたくないから、前に書かなかったと思うことだけを記すことにする。 一 自然科学に関する話題にも子規はかなりの興味を有って居たように思われる。当時自分は訪問してそういう方面のどんな・・・ 寺田寅彦 「子規の追憶」
・・・ただこれまで人に話したり、或は機に触れて書いたりしたことを、思い出るままに記すだけである。 デカルトといえば、合理主義的哲学の元祖である。しかし彼の『省察録』Meditationes などを読んでも、すぐ気附くことは、その考え方の直・・・ 西田幾多郎 「フランス哲学についての感想」
此作は、名古屋刑務所長、佐藤乙二氏の、好意によって産れ得たことを附記す。――一九二三、七、六―― 一 若し私が、次に書きつけて行くようなことを、誰かから、「それは事実かい、それとも幻想かい、・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・然らば即ち今日の女大学は小説に非ず、戯作に非ず、女子教育の宝書として、都鄙の或る部分には今尚お崇拝せらるゝものにてありながら、宝書中に記す所は明かに現行法律に反くもの多し。其の民心に浸潤するの結果は、人を誤って法の罪人たらしむるに至る可し。・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ 明治一六年二月編者識と記すべき法なるを、ある時、林大学頭より出したる受取書に、楷書をもって尋常に米と記しければ、勘定所の俗吏輩、いかでこれを許すべきや、成規に背くとて却下したるに、林家においてもこれに服せず、同家の用人と勘定所の・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・一、維新の頃より今日に至るまで、諸藩の有様は現に今人の目撃するところにして、これを記すはほとんど無益なるに似たれども、光陰矢のごとく、今より五十年を過ぎ、顧て明治前後日本の藩情如何を詮索せんと欲するも、茫乎としてこれを求るに難きものある・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・この他なお細かに吟味せば、蓄妾淫奔・遊冶放蕩、口にいい紙に記すに忍びざるの事情あらん。この一家の醜体を現に子供に示して、明らかにこれに傚えと口に唱えざるも、その実は無辜の小児を勧めて醜体に導くものなり。これを譬えば、毒物を以て直にこれを口に・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
出典:青空文庫