・・・一太の母はそのとき、「本当にお恥しくってお話申しあげも出来ないんですよ。震災のときこれの親父に死なれましてからってもの、もう手も足も出なくなっちゃいましてね」と、徐ろに永い、いつになっても限りのない貧の託ち話を始める。帰るとき、一太・・・ 宮本百合子 「一太と母」
・・・「――元よくこの辺翔んでいた――都鳥でしたっけか、白い大っきい鳥――ちっともいなくなっちゃいましたね、震災からでしょうか」 区画整理が始まって、駒形通りは工場裏のように雑然としている。「無くなっちゃったかな――この模様じゃあぶな・・・ 宮本百合子 「九月の或る日」
・・・と云ったのでナアーンダとあきらめ、いねちゃん、大笑い、帰りに盲滅法に歩いたら明治座の横のプラタナスの大変綺麗な並木のある新しい公園へ出て、震災後のこの辺の新鮮な風景を味いました。明治座八月興行の立看板が出ていて「彦六大いに笑う」三好十郎作、・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ 既に結婚していれば、それがたとえ僅か半月ほど前のことであっても、夫婦としての二人の間はもう動かせないものとなっていて、良人を送り出して後の新妻の生活は、良人を心持の中心において何とか方法が立てられた。待つ、ということのなかに、日本の女・・・ 宮本百合子 「これから結婚する人の心持」
・・・その処女時代を、その新妻として記憶すべき時代は、彼女の脳裡にどんな美くしく喜ぶべき思い出となって居りますでしょうか。 私は、自分の母のために、総ての左様である女性の為に、真個に彼女等の受けて来た待遇をお気の毒に思わずには居られません。・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・若い良人でもある兄も、若く美しい新妻であった母も、不言の裡に、この熱烈な気質の弟の決心の動機を理解していたと思える。それが奇矯ではあるが純潔なろうとする意志によっていることや、アメリカほど遠い海を踰えてしまわなければ、そしてやがてはその大き・・・ 宮本百合子 「本棚」
・・・同君と木村荘八君との共著『大同石仏寺』が出たのは関東震災よりも前である。これでよほどはっきりして来たが、しかしまだ雲岡の全貌を伝えるには足りなかった。その後二十年くらいたって、奈良の飛鳥園が撮影しに行き、『雲岡石窟大観』という写真集を出した・・・ 和辻哲郎 「麦積山塑像の示唆するもの」
関東大震災の前数年の間、先輩たちにまじって露伴先生から俳諧の指導をうけたことがある。その時の印象では、先生は実によく物の味のわかる人であり、またその味を人に伝えることの上手な人であった。俳句の味ばかりでなく、釣りでも、将棋でも、その他・・・ 和辻哲郎 「露伴先生の思い出」
出典:青空文庫