・・・と云う文句さえ、春宮の中からぬけ出したような、夕霧や浮橋のなまめかしい姿と共に、歴々と心中に浮んで来た。如何に彼は、この記憶の中に出没するあらゆる放埓の生活を、思い切って受用した事であろう。そうしてまた、如何に彼は、その放埓の生活の中に、復・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・彼はすぐに立ち上ると、真鍮の手すりに手を触れながら、どしどし梯子を下りて行った。 まっすぐに梯子を下りた所が、ぎっしり右左の棚の上に、メリヤス類のボオル箱を並べた、手広い店になっている。――その店先の雨明りの中に、パナマ帽をかぶった賢造・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・そのまた彼の頭の上には真鍮の油壺の吊りランプが一つ、いつも円い影を落していた。…… 二 彼は本郷の叔父さんの家から僕と同じ本所の第三中学校へ通っていた。彼が叔父さんの家にいたのは両親のいなかったためである。両親・・・ 芥川竜之介 「彼」
・・・金無垢ならばこそ、貰うんだ。真鍮の駄六を拝領に出る奴がどこにある。」「だが、そいつは少し恐れだて。」了哲はきれいに剃った頭を一つたたいて恐縮したような身ぶりをした。「手前が貰わざ、己が貰う。いいか、あとで羨しがるなよ。」 河・・・ 芥川竜之介 「煙管」
・・・ わたしは御心中を思いやりながら、ただ涙ばかり拭っていました。「しかし会えぬものならば、――泣くな。有王。いや、泣きたければ泣いても好い。しかしこの娑婆世界には、一々泣いては泣き尽せぬほど、悲しい事が沢山あるぞ。」 御主人は後の・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・少女は自働車のまん中にある真鍮の柱につかまったまま、両側の席を見まわした。が、生憎どちら側にも空いている席は一つもない。「お嬢さん。ここへおかけなさい。」 宣教師は太い腰を起した。言葉はいかにも手に入った、心もち鼻へかかる日本語であ・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・いずれは身のつまりで、遁げて心中の覚悟だった、が、華厳の滝へ飛込んだり、並木の杉でぶら下ろうなどというのではない。女形、二枚目に似たりといえども、彰義隊の落武者を父にして旗本の血の流れ淙々たる巡査である。御先祖の霊前に近く、覚悟はよいか、嬉・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・ と返事は強いないので、七兵衛はずいと立って、七輪の前へ来ると、蹲んで、力なげに一服吸って三服目をはたいた、駄六張の真鍮の煙管の雁首をかえして、突いて火を寄せて、二ツ提の煙草入にコツンと指し、手拭と一所にぐいと三尺に挟んで立上り、つかつ・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・ 中二階といってもただ段の数二ツ、一段低い処にお幾という婆さんが、塩煎餅の壺と、駄菓子の箱と熟柿の笊を横に控え、角火鉢の大いのに、真鍮の薬罐から湯気を立たせたのを前に置き、煤けた棚の上に古ぼけた麦酒の瓶、心太の皿などを乱雑に並べたのを背・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・し候さ候えども、一旦親戚の儀を約束いたし候えば、義理堅かりし重隆殿の先人に対し面目なく、今さら変替相成らず候あわれ犠牲となりて拙者の名のために彼の人に身を任せ申さるべく、斯の遺言を認め候時の拙者が心中の苦痛を以て、御身に謝罪いたし候・・・ 泉鏡花 「琵琶伝」
出典:青空文庫