・・・ 茶の間の柱のそばは狭い廊下づたいに、玄関や台所への通い口になっていて、そこへ身長を計りに行くものは一人ずつその柱を背にして立たせられた。そんなに背延びしてはずるいと言い出すものがありもっと頭を平らにしてなどと言うものがあって、家じゅう・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・しかし、その新調の背広を着て見ることすら、彼には初めてだ。「どうかして、一度、白足袋を穿いて見たい」 そんなことすら長い年月の間、非常な贅沢な願いのように考えられていた。でも、白足袋ぐらいのことは叶えられる時が来た。 比佐は名影・・・ 島崎藤村 「足袋」
・・・けれども、三夜の身悶えの果、自分の身長が足りないことに気がつき、断念した。兄妹のうちで、ひとり目立って小さかった。四尺七寸である。けれども、決して、みっともないものではなかった。なかなかである。深夜、裸形で鏡に向い、にっと可愛く微笑してみた・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・渦まく淵を恐れず、暗礁おそれず、誰ひとり知らぬ朝、出帆、さらば、ふるさと、わかれの言葉、いいも終らずたちまち坐礁、不吉きわまる門出であった。新調のその船の名は、細胞文芸、井伏鱒二、林房雄、久野豊彦、崎山兄弟、舟橋聖一、藤田郁義、井上幸次郎、・・・ 太宰治 「喝采」
・・・亦、『新ロマン派』十二月号にも拙作に関する感想をお洩しになったこと、『新潮』一月号掲載の貴作中、一少女に『春服』を携えさせたこと等、あなたの御心づかいを伝えてくれました。早速、今日、街の五六軒の本屋をまわって、二誌を探したのですが、『新潮』・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・八拾円ニテ、マント新調、二百円ニテ衣服ト袴ト白足袋ト一揃イ御新調ノ由、二百八拾円ノ豪華版ノ御慶客。早朝、門ニ立チテオ待チ申シテイマス。太宰治様。深沢太郎。」「謹啓。其の後御無沙汰いたして居りますが、御健勝ですか。御伺い申しあげます。二三・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・あの大失敗の夜から、四、五日経ち、眼鏡も新調し、頬のはれも引いてから、彼は、とにかくキヌ子のアパートに電話をかけた。ひとつ、思想戦に訴えて見ようと考えたのである。「もし、もし。田島ですがね、こないだは、酔っぱらいすぎて、あはははは。」・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
・・・色が白いから、それでも可成りの美少年に見える。身長骨骼も尋常である。頭は丸刈りにして、鬚も無いが、でも狭い額には深い皺が三本も、くっきり刻まれて在り、鼻翼の両側にも、皺が重くたるんで、黒い陰影を作っている。どうかすると、猿のように見える。も・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・へたな見透しなどをつけて、右にすべきか左にすべきか、秤にかけて慎重に調べていたんでは、かえって悲惨な躓きをするでしょう。 明日の事を思うな、とあの人も言って居られます。朝めざめて、きょう一日を、充分に生きる事、それだけを私はこのごろ心掛・・・ 太宰治 「私信」
・・・ それから郵便局に行き、「新潮」の原稿料六十五円を受け取って、市場に行ってみた。相変らず、品が乏しい。やっぱり、また、烏賊と目刺を買うより他は無い。烏賊二はい、四十銭。目刺、二十銭。市場で、またラジオ。 重大なニュウスが続々と発表せ・・・ 太宰治 「十二月八日」
出典:青空文庫