・・・ 十歳ばかりの頃なりけん、加賀国石川郡、松任の駅より、畦路を半町ばかり小村に入込みたる片辺に、里寺あり、寺号は覚えず、摩耶夫人おわします。なき母をあこがれて、父とともに詣でしことあり。初夏の頃なりしよ。里川に合歓花あり、田に白鷺あり。麦・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・―― 清水の真空の高い丘に、鐘楼を営んだのは、寺号は別にあろう、皆梅鉢寺と覚えている。石段を攀じた境内の桜のもと、分けて鐘楼の礎のあたりには、高山植物として、こうした町近くにはほとんどみだされないと称うる処の、梅鉢草が不思議に咲く。と言・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・どうせ間に合わないのだから、一月のばして貰って、次号に書くことにしようと、新吉は赤い眼をこすりながら、しょんぼり考えた。しかし、新吉は今朝東京のその雑誌社へ「ゲ ンコウイマオクッタ」オマチコウ」とうっかり電報を打ってしまったのだ。もう断るに・・・ 織田作之助 「郷愁」
二月号をひっくりかえして見ていて気になったことお耳にいれます。カットがまことに少く淋しいこと。題がどれも原形で文学にまでなっていない題であることなどです。これは次号予告を見ても強く感じました。文学雑誌は書く人も文学の空気を・・・ 宮本百合子 「気になったこと」
出典:青空文庫