・・・我が王朝文弱の時代にその風を成し、玉の盃底なきが如しなどの語は、今に至るまで人口に膾炙する所にして、爾後武家の世にあっては、戸外兵馬の事に忙わしくして内を修むるに遑なく、下って徳川の治世に儒教大いに興りたれども、支那の流儀にして内行の正邪は・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・によって後者の庶民的生活力には結びつかず、象徴派のマラルメやアンリ・ド・レニエなどと相識り、爾後四五年間はその温室の中にあって、間接に『法螺貝』、『半人獣』などという雑誌編輯に当り、グループの「最も光彩陸離たる聖職者の一人」となった。 ・・・ 宮本百合子 「ジイドとそのソヴェト旅行記」
・・・ 金子しげり、市川房枝などの運動と並行して昭和二年ごろ無産派婦人政治運動促進会というものができ、全国婦人同盟が組織され、その流れは爾後七八年間種々転変しつつ、日本の勤労的な生活にある婦人層の広汎な政治的成長のために尽瘁しつづけた。明治の・・・ 宮本百合子 「女性の歴史の七十四年」
出典:青空文庫