・・・また重いものをかついで山道を登る夢が情婦とのめんどうな交渉の影像として現われることもある。古来の連句の中でもそういう不思議な場合の例を捜せばおそらくいくらでも見つかるであろうという事は、自分自身の貧弱な体験からも想像されることである。「・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・せんで竹の皮をむき、ふしの外のでっぱりをけずり、内側のかたい厚みをけずり、それから穴をあけて、柄をつけると、ぶかっこうながら丈夫な、南九州の農家などでよくつかっている竹びしゃくが出来あがる。朝めし前からかかって、日に四十本をつくるのだが、こ・・・ 徳永直 「白い道」
・・・眼の細い、身丈の低くからぬ、丈夫そうな爺さんであった。浅草という土地がら、大道具という職業がらには似もつかず、物事が手荒でなく、口のききようも至極穏かであったので、舞台の仕事がすんで、黒い仕事着を渋い好みの着物に着かえ、夏は鼠色の半コート、・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・厭な客衆の勤めには傾城をして引過ぎの情夫を許してやらねばならぬ。先生は現代生活の仮面をなるべく巧に被りおおせるためには、人知れずそれをぬぎ捨てべき楽屋を必要としたのである。昔より大隠のかくれる町中の裏通り、堀割に沿う日かげの妾宅は即ちこの目・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・ わたくしはまた更に為永春水の小説『辰巳園』に、丹次郎が久しく別れていたその情婦仇吉を深川のかくれ家にたずね、旧歓をかたり合う中、日はくれて雪がふり出し、帰ろうにも帰られなくなるという、情緒纏綿とした、その一章を思出す。同じ作者の『湊の・・・ 永井荷風 「雪の日」
・・・死ぬ迄も依然として身体は丈夫であったけれど何処となく悄れ切って見えた。それは瞽女のお石がふっつりと村へ姿を見せなくなったからであった。彼がお石と馴染んだのは足かけもう二十年にもなる。秋のマチというと一度必ず隊伍を組んだ瞽女の群が村へ来る。其・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・ 実をいうとマロリーの写したランスロットは或る点において車夫の如く、ギニヴィアは車夫の情婦のような感じがある。この一点だけでも書き直す必要は充分あると思う。テニソンの『アイジルス』は優麗都雅の点において古今の雄篇たるのみならず性格の描写・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・ていやに軽蔑した文句を並べる、不肖なりといえども軽少ながら鼻下に髯を蓄えたる男子に女の自転車で稽古をしろとは情ない、まあ落ちても善いから当り前の奴でやってみようと抗議を申し込む、もし採用されなかったら丈夫玉砕瓦全を恥ずとか何とか珍汾漢の気き・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・番兵が石像のごとく突立ちながら腹の中で情婦とふざけている傍らに、余は眉を攅め手をかざしてこの高窓を見上げて佇ずむ。格子を洩れて古代の色硝子に微かなる日影がさし込んできらきらと反射する。やがて煙のごとき幕が開いて空想の舞台がありありと見える。・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・第一に身体が昔より丈夫になり、神経が少し図太く鈍って来た。青年時代に、僕をひどく苦しめた病的感覚や強迫観念が、年と共に次第に程度を弱めて来た。今では多人数の会へ出ても、不意に人の頭をなぐったり、毒づいたりしようとするところの、衝動的な強迫観・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
出典:青空文庫