・・・また逢いに来ますから」 自分は、いつ逢いに来るかねと聞いた。「日が出るでしょう。それから日が沈むでしょう。それからまた出るでしょう、そうしてまた沈むでしょう。――赤い日が東から西へ、東から西へと落ちて行くうちに、――あなた、待ってい・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・或日亭主と神さんが出て行って我輩と妹が差し向いで食事をしていると陰気な声で「あなたもいっしょに引越して下さいますか」といった。この「下さいますか」が色気のある小説的の「下さいますか」ではない。色沢気抜きの世帯染た「下さいますか」である。我輩・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・ ――ああ、それから、面会の人が来てますからね。治療が済んだら出て下さい。 僕が黙ったので彼等は去った。 ――今日は土曜じゃないか、それにどうして午後面会を許すんだろう。誰が来てるんだろう。二人だけは分ったが、演説をやったのは誰・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・「顔出しだけでもいいんですから、ちょいとあちらへおいでなすッて下さい」と、例のお熊は障子の外から声をかけた。「静かにしておくれ。お客さまがいらッしゃるんだよ」「御免なさいまし」と、お熊は障子を開けて、「小万さんの花魁、どうも済み・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・ あまがえるは珍らしいものですから、ぞろぞろ店の中へはいって行きました。すると店にはうすぐろいとのさまがえるが、のっそりとすわって退くつそうにひとりでべろべろ舌を出して遊んでいましたが、みんなの来たのを見て途方もないいい声で云いました。・・・ 宮沢賢治 「カイロ団長」
・・・するとその子はちゃんと前へならえでもなんでも知ってるらしく平気で両腕を前へ出して、指さきを嘉助のせなかへやっと届くくらいにしていたものですから、嘉助はなんだかせなかがかゆく、くすぐったいというふうにもじもじしていました。「直れ。」先生が・・・ 宮沢賢治 「風の又三郎」
・・・で室の中はちょうどビール瓶のかけらをのぞいたようでした。ですから私も挨拶しました。「お早う。蜂雀。ペムペルという人がどうしたっての。」 蜂雀がガラスの向うで又云いました。「ええお早うよ。妹のネリという子もほんとうにかあいらしいい・・・ 宮沢賢治 「黄いろのトマト」
奇妙な夢を見た。女学校の裁縫の教室と思われる広い部屋で、自分は多勢の友達と一緒にがやがやし乍ら、何か縫って居る。先生は、実際の女学校生活の間、所謂虫がすかなかったのだろう、何かとなく神経的に自分に辛く当った音楽の先生である・・・ 宮本百合子 「或日」
・・・「おやまた何か戴いたんですか……済みませんねえ」 そして、細君に向って愛想笑いしつつ、「だから御覧なね、外の方じゃないからいいようなもんの、まるでおねだり申したみたいじゃないか」と一太を叱った。「あなたもちとお茶でもおあ・・・ 宮本百合子 「一太と母」
・・・「まだすかない」「網野さんは」「そんなでもないけど――」「上ってもいいんでしょ? じゃあ何か考えましょうよ、サンドウィッチ拵えましょうか」「サンドウィッチは網野さんがきらいでしょう」「――いいものがある。マカロニ! ・・・ 宮本百合子 「九月の或る日」
出典:青空文庫