・・・これは江戸名所図会にも載っている、あれの直接の後裔であるかどうかは知らないがともかくも昔の江戸の姿をしのばせる格好の目標であった。 なんでも片方が「本家」で片方が「元祖」だとか言って長い年月を鬩ぎ合った歴史もあったという話を聞いたことが・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・しかし翰の持出したものは、唖々子の持出した『通鑑』や『名所図会』、またわたしの持出した『群書類従』、『史記評林』、山陽の『外史』『政記』のたぐいとは異って、皆珍書であったそうである。先哲諸家の手写した抄本の中には容易に得がたいものもあったと・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
・・・これら座右の乱帙中に風俗画報社の明治三十一年に刊行した『新撰東京名所図会』なるものがあるが、この書はその考証の洽博にして記事もまた忠実なること、能く古今にわたって向島の状況を知らしむるものである。明治三十一年の頃には向島の地はなお全く幽雅の・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・ 元八幡宮のことは『江戸名所図会』、『葛西志』、及び風俗画報『東京近郊名所図会』等の諸書に審である。甲戌十二月記 永井荷風 「元八まん」
・・・これがどんな人間らしくない、不幸の図絵であったかということは今日すべての男女が知っている。いまだに疎開から家族のよびもどせない良人たちは、良人であると同時に、その自炊生活において妻である。そしてこれは全く不自然だと感じられているのである。・・・ 宮本百合子 「明日をつくる力」
・・・をめぐってくりひろげられた当時の情景は、さまざまの角度から劇的な一つの図絵である。わたしとしては、この経験から根本的な一つのことを学ぶことができた。それは、作品批評とはどういう風にされなければならないかということについての、批評の階級性なら・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十巻)」
・・・古代壁画がはがれてむき出された法隆寺現代図絵である。また、あらゆる面にはびこっている日本の封建的な官僚主義やセクト主義が、法隆寺の壁画保存にもからんでいて「法隆寺グループ」というものの存在も語られた。散々不評だった下條文相をやめさせるきっか・・・ 宮本百合子 「国宝」
・・・けれども、絶対主義に躾けられた日本の知性は、直接その本質的な対象には立ち向わず、それをずらして、ファシズムと治安維持法の野蛮の生々しい図絵をついそこで展開させ、彼らの恐怖を新しく目ざまさせるモメントとなる左翼の行動に対して、恐怖の変形した憎・・・ 宮本百合子 「世紀の「分別」」
・・・る苦力的な境遇、底しれなく自然と人間社会の暴威に生存をおびやかされながら、しかも、同じように無限のエネルギーをもって抵抗を持続してゆく人々の現実が、どんなに強烈な人間生活の色彩・音響・さまざまの状況の図絵として刻みこまれているかしれないだろ・・・ 宮本百合子 「「ヒロシマ」と「アダノの鐘」について」
・・・ 人民生活をわだちにかけて、一握りの特権者が利慾をたくましくしようとしている国際的な便乗図絵は、無邪気な昔の人が目を見はった地獄図絵よりも偽善的である。地獄絵で、赤鬼、青鬼は金棒をもち、きばをむき、血の池地獄へ亡者どもをかりたてた。しか・・・ 宮本百合子 「便乗の図絵」
出典:青空文庫