・・・ 新婚後まだ何日も経たない房子は、西洋箪笥の前に佇んだまま、卓子越しに夫へ笑顔を送った。「田中さんが下すったの。御存知じゃなくって? 倉庫会社の――」 卓子の上にはその次に、指環の箱が二つ出て来た。白天鵞絨の蓋を明けると、一つには真・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・讃美する必要は無いが、博文館が日本の雑誌界に大飛躍を試みて、従来半ば道楽仕事であった雑誌をビジネスとして立派に確立するを得せしめ、且雑誌の編纂及び寄書に対する報酬をも厚うして、夫までは殆んど道楽だった操觚をしてプロフェッショナルとしても亦存・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・同じ操觚に携わるものは涙なしには読む事が出来ない。ちょうどこの百七十七回の中途で文字がシドロモドロとなって何としても自ら書く事が出来なくなったという原稿は、現に早稲田大学の図書館に遺存してこの文豪の悲痛な消息を物語っておる。扇谷定正が水軍全・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・かつ在官者よりも自由であって、大抵操觚に長じていたから、矢野龍渓の『経国美談』、末広鉄腸の『雪中梅』、東海散士の『佳人之奇遇』を先駈として文芸の著述を競争し、一時は小説を著わさないものは文明政治家でないような観があった。一つは憲法発布が約束・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・そして、田所さんの世話で造船所の倉庫番をしたり、病院の雑役夫になったりして、そのわずかの給金の中から、禁酒貯金と秋山さん名義の貯金を続けましたが、秋山さんからは何の便りも来なかった。もっともお互い今度会う時まで便りをしないでおこうという約束・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・橋の近くにある倉庫会社に勤めていて、朝夕の出退時間はむろん、仕事が外交ゆえ、何度も会社と訪問先の間を往復する。その都度せかせかとこの橋を渡らねばならなかった。近頃は、弓形になった橋の傾斜が苦痛でならない。疲れているのだ。一つ会社に十何年間か・・・ 織田作之助 「馬地獄」
・・・専売局自身が倉庫から大量持ち出して、横流しをしてるんですからねえ」 東京の人人はこの記事を読んで驚くだろうが、しかし私は驚かない。私ばかりではない。大阪の人はだれも驚かないだろう。 そしてまた次のことにも驚かない。 最近・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・雨にぬれた弁天島という島や、黒みかゝった海や、去年の暴風にこわれた波止場や、そこに一艘つないである和船や、発動機船会社の貯油倉庫を私は、窓からいつまでもあきずに眺めたりする。波止場近くの草ッ原の雑草は、一カ月見ないうちに、病人の顎ひげのよう・・・ 黒島伝治 「海賊と遍路」
・・・それらの品々は、一時、深沢洋行の倉庫の中で休息した。それからおもむろに、支那人の手によって、国境をくぐりぬけ、サヴエート国内へもぐりこんで行った。 これは二重の意義を持っていた。密輸入につきものの暴利をむさぼるだけではなかった。 肉・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・ 五 倉庫にしまってある実弾を二人はひそかに持ち出した。お互いに、十発ずつぐらいポケットにしのばせて、毎日、丘の方へ出かけて行った。 帰りには必ず獲物をさげて帰った。「こんなに獲っていちゃ、シベリヤの兎が種・・・ 黒島伝治 「雪のシベリア」
出典:青空文庫