・・・ 携帯口糧のように整理された文化の遺産は、時にとって運ぶに便利であろうけれども、骨格逞しく精神たかく、半野生的東洋に光を注ぐ未来の担いてを養うにはそれだけで十分とは云い切れまいと思える。 三代目ということは、日本の川柳で極めてリアル・・・ 宮本百合子 「明日の実力の為に」
・・・何にも、心を注ぐすべない人が盲滅法に 恋をする。 夢中になって する――その心根は、いじらしい。 *或時には余り朗らかとも云えぬ情慾を混えた夫婦の 愛を経験して見ると親子・・・ 宮本百合子 「五月の空」
・・・ 家庭からは引はなされ、自分の仕事にあくせくと追い廻されながら、せま苦しい只一室を巣として、注ぐべき愛をことごとく幽閉して過す毎日は、遠く故国に自分を待って居る、「彼の女性」に対して、云うばかりない懐しさを抱かせるでございましょう。・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・子供の時分ランプへ石油を注ぐ時使う金の道具があった。それを石油カンにさして細い針金を引っぱり石油をランプに汲み上げるときキューキュー一種の音を立てた。そっくりその通りではないが、それに似た音と、トン、トンと間を置く遠い音響が、自分の登ってい・・・ 宮本百合子 「石油の都バクーへ」
・・・目は、石浦を経て由良の港に注ぐ大雲川の上流をたどって、一里ばかり隔った川向いに、こんもりと茂った木立ちの中から、塔の尖の見える中山に止まった。そして「厨子王や」と弟を呼びかけた。「わたしが久しい前から考えごとをしていて、お前ともいつものよう・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
・・・ 小川は冷えた酒を汁椀の中へ明けて、上さんの注ぐ酒を受けた。 酒を注ぎながら、上さんは甘ったるい調子で云った、「でも営口で内に置いていた、あの子には、小川さんもわなかったわね。」「名古屋ものには小川君にも負けない奴がいるよ。」主・・・ 森鴎外 「鼠坂」
・・・ シェリイを注ぐ。メロンが出る。二人の客に三人の給仕が附ききりである。渡辺は「給仕のにぎやかなのをご覧」と附け加えた。「あまり気がきかないようね。愛宕山もやっぱりそうだわ」肘を張るようにして、メロンの肉をはがして食べながらいう。・・・ 森鴎外 「普請中」
・・・栖方は酒を注ぐ手伝いの知人の娘に軽い冗談を云ったとき、親しい応酬をしながらも、娘は二十一歳の博士の栖方の前では顔を赧らめ、立居に落ち付きを無くしていた。いつも両腕を組んだ主宰者の技師は、静かな額に徳望のある気品を湛えていて、ひとり和やかに沈・・・ 横光利一 「微笑」
・・・それでも稀には、あの荊の輪飾の下の扁額に目を注ぐことがあるだろう。そしてあの世棄人も、遠い、微かな夢のように、人世とか、喜怒哀楽とか、得喪利害とか云うものを思い浮べるだろう。しかしそれはあの男のためには、疾くに一切折伏し去った物に過ぎぬ。・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・彼はその理想の情熱と公憤との権利をもって、何の遅疑する所もなく、大胆に満腹の嘲罵を社会の偽善と不徹底との上に注ぐのである。 しかしドストイェフスキイのメフィストは常にファウストに添って現われて来る。真の生を求めて泣き、苦しみ、恐れ、絶望・・・ 和辻哲郎 「転向」
出典:青空文庫