・・・「……いや君、併し、僕だって君、それほどの大変なことになってるんでもないよ。何しろ運わるく妻が郷里に病人が出来て帰って居る、……そんなこんなでね、余り閉口してるもんだからね。……」「……そう、それが、君の方では、それ程大したことでは・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・走りの野菜をやりましたら大変喜びましたが、これも二日とは続けられません。それで今度はお前から注文しなさいと言えば、西瓜の奈良漬だとか、酢ぐきだとか、不消化なものばかり好んで、六ヶしうお粥をたべさせて貰いましたが、遂に自分から「これは無理です・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・ 借りて来たのは乳母車だった。「明日一番で立つのを、行李乗せて停車場まで送って行てやります」母がそんなに言ってわけを話した。 大変だな、と彼は思っていた。「勝子も行くて?」信子が訊くと、「行くのやと言うて、今夜は早うから・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・私は大変に恨むからいい。 はて恐いな。お前に恨まれたらば眠くなって来た。と善平はそのまま目を塞ぐ。あれお休みなさってはいやですよ。私は淋しくっていけませんよ。と光代は進み寄って揺り動かす。それなら謝罪ったか。と細く目を開けば、私は謝罪る・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・『叔父さんあっちは大変寒いところだというじゃアありませんか』とお常は自分の足袋の底を刺しながら言いぬ。『なに吉さんはあの身体だもの寒にあてられるような事もあるまい』と叔母は針の目を通しながら言えり。『イヤそうも言えない随分ひどい・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・愛してはくれるが、働いてくれるには及ばなかった富裕な家の母と、自分の養、教育のために犠牲的に働いてくれた母とでは、子どもの感情は大変な相異であろう。労働と犠牲とは母性愛を神聖なものにする条件だ。佐野勝也氏の母は機を織ったり、行商したりして子・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・「いざという場合に柵がはずれなんだりすると大変だぜ。俺等ちゃんと用意しとるんだ。」健二はわざと大仰に云った。それで相手の反応を見て、どういうつもりか推し測ろうとする考えだった。 宇一は、顔に、直接、健二の視線を浴びるのをさけた。暫ら・・・ 黒島伝治 「豚群」
・・・「そんなものだったかネ、何だか大変長い間見えなかったように思ったよ。そして今日はまた定りのお酒買いかネ。」「ああそうさ、厭になっちまうよ。五六日は身体が悪いって癇癪ばかり起してネ、おいらを打ったり擲いたりした代りにゃあ酒買いのお使い・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・夫の顔は少し白くなっていたが大変元気だった。お君の首になったのを聞くと、編笠をテーブルに叩きつけて怒った。それでも胸につけてある番号のきれをいじりながら、自分の子供を眼を細くして見ていた。そして半分テレながら、赤ん坊の頬ぺたを突ッついたりし・・・ 小林多喜二 「父帰る」
・・・ 子安も歩き歩き、「なんでもあの先生が上田から通って被入っしゃる時分には、大変お酒に酔って、往来の雪の中に転がっていたことがあるなんて――そんな話ですネ」「私も聞きました」「どうして広岡先生のような人がこんな地方へ入り込んで来た・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
出典:青空文庫