・・・自分はいつもこの静かな船の帆と、青く平らに流れる潮のにおいとに対して、なんということもなく、ホフマンスタアルのエアレエプニスという詩をよんだ時のような、言いようのないさびしさを感ずるとともに、自分の心の中にもまた、情緒の水のささやきが、靄の・・・ 芥川竜之介 「大川の水」
・・・わたくしはこの心の秤を平らに致したい一心から、自然と多門の皿の上へ錘を加えることになりました。しかも後に考えれば、加え過ぎたのでございまする。多門には寛に失した代りに、数馬には厳に過ぎたのでございまする。」 三右衛門はまた言葉を切った。・・・ 芥川竜之介 「三右衛門の罪」
・・・そこは僕らが今いたところから三、四丁離れた山の尾の一段高くなって頂が少し平らなところであった。果たして一頭の鹿が松の枝の、僕の手が届きかねるところに釣り下げてあった、そしてそこにはだれもいなかった。僕は少年心に少し薄気味悪く思ったが、松の下・・・ 国木田独歩 「鹿狩り」
・・・その川が平らな田と低い林とに連接する処の趣味は、あだかも首府が郊外と連接する処の趣味とともに無限の意義がある。 また東のほうの平面を考えられよ。これはあまりに開けて水田が多くて地平線がすこし低いゆえ、除外せられそうなれどやはり武蔵野に相・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・葭か蘆のような類のものに見えたが、そんなものなら平らに水を浮いて流れるはずだし、どうしても細い棒のようなものが、妙な調子でもって、ツイと出てはまた引込みます。何の必要があるではないが、合点が行きませぬから、 「吉や、どうもあすこの処に変・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・朝輪袈裟を掛け、印を結び、行法怠らず、朝廷長久、天下太平、家門隆昌を祈って、それから食事の後には、ただもう机によって源氏を読んでいたというが、如何にも寂びた、細とした、すっきりとした、塵雑の気のない、平らな、落ついた、空室に日の光が白く射し・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・外を歩くと、雪道が硝子の面よりも堅く平らに凍えて、ギュン/\と何かものでもこわれるような音をたてる……。所謂「十二月一日事件」の夜明頃などは、空気までそのまゝの形で凍えていたような「しばれ」だったよ。 あの「ガラ/\」の山崎のお母さんで・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・そんなに背延びしてはずるいと言い出すものがありもっと頭を平らにしてなどと言うものがあって、家じゅうのものがみんなで大騒ぎしながら、だれが何分延びたというしるしを鉛筆で柱の上に記しつけて置いた。だれの戯れから始まったともなく、もう幾つとなく細・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・車の轍で平らされているこの道を、いつも二輪の荷車を曳いて、面白げに走る馬もどこにも見えない。 河に沿うて付いている道には、規則正しい間隔を置いて植えた、二列の白楊の並木がある。白楊は、垂れかかっている白雲の方へ、長く黒く伸びている。その・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・それをこの二面がいつでも偶然平らに並行でもしているかのごとき了見で、全体どっちが高いのですと聞かなければ承知ができないのは痛み入ります。人間と人間、事件と事件が衝突したり、捲き合ったり、ぐるぐる回転したりする時その優劣上下が明かに分るような・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
出典:青空文庫