・・・「だって――貴婦人が来たら困っちゃうのよ皆」 第三日 長崎は雨の尠いところだそうだのに、今朝も、雲母を薄く張ったような空から小糠雨が降って居る。俥で、福済寺へ行く。やはり、南京寺の一つ、黄檗宗に属す。この寺・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
・・・ 兄さんの鳥はひどい事ばっかりするんですもの、 私いやんなっちゃうわ。と云って、年頃の娘でもする様に袂の先を高くあげて首をまげて居る。 何か考えて居ると見えて、薄い髭の罪のなく生えた口元をゆるめてニヤツイて居た弟は、・・・ 宮本百合子 「二十三番地」
・・・第一の若僧 今日もまた、このまんま夜になっちゃうんですか? 寝つづけてお出遊ばすお師様の御夢を御守りして斯うやって居なければいけない―― 私達の夢はどこの誰が守ってるんだろう。第二の若僧 神の御試みに会って居るのだと思え・・・ 宮本百合子 「胚胎(二幕四場)」
・・・ そう、じゃ私も母さんにいって勤めるようにしちゃうわ。そんな会話が、あるいは上級生の間にあるだろう。遠足か何かにゆくように、ねえ母さん、誰さんも、誰さんも、ゆくのよ、いいでしょう? ねえ。そういわれた母親たちは、それじゃあまア、すこし勤めて・・・ 宮本百合子 「働く婦人の新しい年」
・・・「――このまんま帰っちゃうのも惜しいようだな」 二人は列車発着表の前へ立った。「――成田はどうです?」「そんなとこ役者がお詣りするところですよ。……稲毛なら近いには近いけど……」「いいじゃないですの!」 尾世川は直ぐ・・・ 宮本百合子 「帆」
・・・「立ってちゃくたびれちゃうね、やっこらと」 手塚は運び込んだなりの庭石の一つに腰を下した。やがて幸雄も来て傍にかけた。いつの間にか背後の生垣の処に植木屋に混って詰襟を着た頑丈な男が蹲んで朝日をふかし始めた。石の門柱を立てる、土台の凝・・・ 宮本百合子 「牡丹」
・・・「全くやんなっちゃうねえ」 思案に暮れた独言に、この夜中で応えるのは、死んだ嫁が清元のさらいで貰った引き幕の片破ればかりだ。「全くやんなっちゃう」 今日風呂へ行くと、八百友の女房が来ていた。世間話の末、「おばさんところの・・・ 宮本百合子 「街」
・・・ ハッハッハッ、そんなこたどうでもいいから来いよ、風邪なんか熱いの一杯ひっかけりゃ癒っちゃう、何ぞってと風邪をだしに使いやがる。――う? うむ、そうさ。――じゃ待ってるぞ」 再び森閑とした夜気。――私共は炬燵にさし向いの顔を見合わせ、微・・・ 宮本百合子 「町の展望」
・・・下でおっかさんが「何だネエ、だだっこ見たいに、ねだがぬけちゃうワ」こんな事をいって居るのを小耳にはさんでクスリと肩を一ゆすりしてきりぬきのゴッチャゴチャになげ込んである襖のない戸棚の前に丸くなって座った。かたそうかとも思うけれ共めんどうくさ・・・ 宮本百合子 「芽生」
・・・ ――切れちゃうのよ、この繩! おまけにこら! 毒じゃないかしらん、この粉―― ――支那の繩って奇妙なもんだな。じゃ、そっちの錠だけかけといてもう行くといいわ! 錠をかけたのは四角い大きな樺の木箱だ。それは明日モスクワから日本へ・・・ 宮本百合子 「モスクワの辻馬車」
出典:青空文庫