・・・また女の捨てばちな気分を表象するようにピアノの鍵盤をひとなでにかき鳴らしたあとでポツンと一つ中央のCを押すのや、兵士が自分で投げた団扇を拾い上げようとしてそのブルータルな片手で鍵盤をガチャンと鳴らすのや、そういう音的効果もあまりわざとらしく・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・「おきぬさんも、今ならどんなにでもして、あげるよって芳ちゃんにそう言うてあげておくれやすと、そないに言うてやった。一度行ってみてはどうや」義姉はこの間もそんなことを言った。 私はそのおきぬさんの家の庭の泉石を隔てたお亭のなかに暮らし・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・「……ちゃんによろしく云っといてねッ」――。 わらい声の一つをききつけて、三吉はハッとする。おぼえのあるわらい声は思いがけなくまじかで、もう顔をそらすひまもなかった。流れのなかをいくらかめだつたかい背の白浴衣地がまむかいにきて、視線があ・・・ 徳永直 「白い道」
・・・宗ちゃんの大好きなを喰べてしまったんですって。恐いじゃありませんか。おとなしくなさい。」 雪は紛々として勝手口から吹き込む。人達の下駄の歯についた雪の塊が半ば解けて、土間の上は早くも泥濘になって居た。御飯焚のお悦、新しく来た仲働、小間使・・・ 永井荷風 「狐」
・・・ 浅草の興行街には久しく剣劇といいチャンバラといわれた闘争の劇の流行していたことは人の記憶している所である。博徒無頼漢の喧噪を主とした芝居で、その絵看板の殺伐残忍なことは、往々顔を外向けたいくらいなものがあった。チャンバラ芝居は戦争後殆・・・ 永井荷風 「裸体談義」
・・・足袋屋はさておいて食物屋の方でもチャンとした専門家があります。例えば牛肉も鳥の肉も食わせる所があるかと思うと、牛肉ばかりの家があるし、また鳥の肉でなければ食わせないという家もある。あるいはそれが一段細かくなって家鴨よりほかに食わせない店もあ・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・たでしょうけれども、しかし貴方がたはその後裔といいますか、跡続ぎ見たような子分見たような者で、その親分をこの教場で度々虐めていた事などがあるから、その子か孫に当るような人などは何とも思っておらんので、チャンと準備をして出て来るほど旨く行かな・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
・・・そして「恨み重なるチャンチャン坊主」が、至る所の絵草紙店に漫画化されて描かれていた。そのチャンチャン坊主の支那兵たちは、木綿の綿入の満洲服に、支那風の木靴を履き、赤い珊瑚玉のついた帽子を被り、辮髪の豚尾を背中に長くたらしていた。その辮髪は、・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・そんなことを為る奴もあるが、俺の方ではチャンと見張りしていて、そんな奴あ放り出してしまうんだ。それにそう無暗に連れて来るって訳でもないんだ。俺は、お前が菜っ葉を着て、ブル達の間を全で大臣のような顔をして、恥しがりもしないで歩いていたから、附・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・余り帰りが遅くなるので、秋山の長屋でも、小林の長屋でも、チャンと一緒に食う筈になっている、待ち切れない夕食を愈々待ち切れなくなった、餓鬼たちが騒ぎ出した。「そんなに云うんだったら、帳場に行ってチャンを連れて来い」 と女房たちが子供に・・・ 葉山嘉樹 「坑夫の子」
出典:青空文庫