・・・ 口を溢れそうに、なみなみと二合のお銚子。 いい心持の処へ、またお銚子が出た。 喜多八の懐中、これにきたなくもうしろを見せて、「こいつは余計だっけ。」「でも、あの、四合罎一本、よそから取って上げましたので、なあ。」 ・・・ 泉鏡花 「七宝の柱」
・・・ こんな調子に、戯言やら本気やらで省作はへとへとになってしまった。おはまがよそ見をしてる間に、おとよさんが手早く省作のスガイ藁を三十本だけ自分のへ入れて助けてくれたので、ようやく表面おはまに負けずに済んだけれど、そういうわけだから実はお・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・傾けた徳利の酒が不足であったので、「おい、お銚子」と、奥へ注意してから、「女房は弱いし、餓鬼は毎日泣きおる、これも困るさかいなア。」「それはお互いのことだア。ね」と、僕が答えるとたん、から紙が開いて、細君が熱そうなお燗を持って出て来たが・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・やがてはしご段をあがって、廊下に違った足音がすると思うと、吉弥が銚子を持って来たのだ。けさ見た素顔やなりふりとは違って、尋常な芸者に出来あがっている。「けさほどは失礼致しました」と、しとやかながら冷かすように手をついた。「僕こそお礼・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・というような調子でやって来て、帰った時にはその晩の勘定五円なにがしを払ってあったので、気の毒に思って、僕はすぐその宿を訪うと、まだ帰らないということであった。どこかでまた焼け酒を飲んでいるのだろうと思ったから、その翌朝を待って再び訪問すると・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・この時代を離れては緑雨のこの句の興味はないが、月落ち烏啼いての調子は巧みに当時の新らしい俳風を罵倒したもので、殊に「息を切らずに御読下し被下度候」は談林の病処を衝いた痛快極まる冷罵であった。 緑雨が初めて私の下宿を尋ねて来たのはその年の・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・そして、年子が、先生をたずねて、東京からきたということをおききなさると、急にお言葉の調子は曇りを帯びたようだったが、「それは、それは、よくいらしてくださいました。さあお上がりなさいまし。」と、ちょうど我が子が遠方から帰ってきたように、し・・・ 小川未明 「青い星の国へ」
・・・と言いながら、手を叩いて女中を呼び、「おい姐さん、銚子の代りを……熱く頼むよ。それから間鴨をもう二人前、雑物を交ぜてね」 で、間もなくお誂えが来る。男は徳利を取り揚げて、「さあ、熱いのが来たから、一つ注ごう」 女も今度は素直に盃を受・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・斬り落すような調子だった。 風が雨戸を敲いた。 男は分厚い唇にたまった泡を、素早く手の甲で拭きとった。少しよだれが落ちた。「なにが迷信や。迷信や思う方がどだい無智や。ちゃんと実例が証明してるやないか」 そして私の方に向って、・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・石田は苦味走ったいい男で、新内の喉がよく、彼女が銚子を持って廊下を通ると、通せんぼうの手をひろげるような無邪気な所もあり、大宮校長から掛って来た電話を聴いていると、嫉けるぜと言いながら寄って来てくすぐったり、好いたらしい男だと思っている内に・・・ 織田作之助 「世相」
出典:青空文庫