・・・ 荘厳な祭式の後に、色々な弔詞が読み上げられた。ある人は朗々と大きな声で面白いような抑揚をつけて読んだが、六かしい漢文だから意味はよく分らなかった。またある人は口の中でぼしゃぼしゃと、誰にも聞こえないように読んでしまった。後にはただ弔詞・・・ 寺田寅彦 「鑢屑」
亮の一周忌が近くなった。かねてから思い立っていた追憶の記を、このしおに書いておきたいと思う。 亮は私の長姉の四人の男の子の第二番目である。長男は九年前に病死し、四男はそれよりずっと前、まだ中学生の時代に夭死した。昨年ま・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・ そのほかの知友の中でも、中学時代からの交遊の跡を追懐した熱情のこもった弔詞を寄せられた人や、また亮が読むべくしてついに読む事のできなかった倉田氏の著書の巻頭に懇篤な追悼文を題して遺族に贈られた人もあった。 私はここでそういう人々の・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・この人の長子は早世し、次男の Joseph Halden Struttが家を継いだ。彼は陸軍大佐となり王党の国会議員となり、Duke of Leinster の娘の Lady Fitzgerald と結婚した。これがここに紹介しようとする物・・・ 寺田寅彦 「レーリー卿(Lord Rayleigh)」
・・・と、彼はそれをどういうふうに言い現わしていいか解らないという調子であった。 が、とにかく彼らは条件なしの幸福児ということはできないのかもしれなかった。 私は軽い焦燥を感じたが、同時に雪江に対する憐愍を感じないわけにはいかなかった。・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・おひろは銚子を取り上げながら辰之助に聞いたりした。「伯父さんの病気でね」「ああ、松山さんでしょう。あの体の大きい立派な顔の……二三日前に聞きましたわ。もう少し生きていてもらわんと困るって、伊都喜さんが話していらしたわ」 伊都喜と・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・ 森さんは去年細君に逝かれて、最近また十八になる長子と訣れたので、自身劇場なぞへ顔を出すのを憚かっていた。 森さんはまたお茶人で、東京の富豪や、京都の宗匠なぞに交遊があったけれど、高等学校も出ているので、宗匠らしい臭味は少しもなかっ・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・ ――こんにゃはァ、こんにゃはァ、 腰で調子をとって、天秤棒をギシギシ言わせながら、一度ふれては十間くらいあるく。それからまた、こんにゃはァ、と怒鳴るのだが、そんなとき、どっかから、「――こんにゃくやさーん」 と、呼ぶ声がき・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・折々は手を叩いて、銚子のつけようが悪いと怒鳴る。母親は下女まかせには出来ないとて、寒い夜を台所へと立って行かれる。自分は幼心に父の無情を憎く思った。 年の暮が近いて、崖下の貧民窟で、提灯の骨けずりをして居た御維新前のお籠同心が、首をくく・・・ 永井荷風 「狐」
・・・と思えば先生の耳には本調子も二上りも三下りも皆この世は夢じゃ諦めしゃんせ諦めしゃんせと響くのである。されば隣りで唄う歌の文句の「夢とおもひて清心は。」といい「頼むは弥陀の御ン誓ひ、南無阿弥陀仏々々々々々々。」というあたりの節廻しや三味線の手・・・ 永井荷風 「妾宅」
出典:青空文庫