・・・の時代がかった文章を借りていうと、 ――さて、お千鶴を道連れに夜逃げをきめこんだ丹造は、流れ流れて故国の月をあとに見ながら、朝鮮の釜山に着いた。 馴れぬ風土の寒風はひとしおさすらいの身に沁み渡り、うたた脾肉の歎に耐えないのであっ・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・対木村戦であれほど近代棋戦の威力を見せつけられて、施す術もないくらい完敗して、すっかり自信をなくしてしまっている筈ゆえ、更に近代将棋の産みの親である花田に挑戦するような愚に出まいと思っていたのである。ところが、無暴にも坂田は出て来た。その自・・・ 織田作之助 「勝負師」
豪放かつ不逞な棋風と、不死身にしてかつあくまで不敵な面だましいを日頃もっていた神田八段であったが、こんどの名人位挑戦試合では、折柄大患後の衰弱はげしく、紙のように蒼白な顔色で、薬瓶を携えて盤にのぞむといった状態では、すでに・・・ 織田作之助 「東京文壇に与う」
・・・ そしてまた、楽壇の腐敗した空気に対する挑戦でもあった。かつての音楽家はつねにマネージャーやレコード会社の社員の言いなりになり、誇張していえば、餌食になっていた。音楽家はそれらの人々の私腹を肥すことに努力することによって、辛うじて演奏に・・・ 織田作之助 「道なき道」
・・・ 喬は腰に朝鮮の小さい鈴を提げて、そんな夜更け歩いた。それは岡崎公園にあった博覧会の朝鮮館で友人が買って来たものだった。銀の地に青や赤の七宝がおいてあり、美しい枯れた音がした。人びとのなかでは聞こえなくなり、夜更けの道で鳴り出すそれは、・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・「勝ちゃん。ここ何てとこ?」彼はそんなことを訊いてみた。「しょうせんかく」「朝鮮閣?」「ううん、しょうせんかく」「朝鮮閣?」「しょう―せん―かく」「朝―鮮―閣?」「うん」と言って彼の手をぴしゃと叩いた。 ・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・ 西は入り江の口、水狭くして深く、陸迫りて高く、ここを港にいかりをおろす船は数こそ少ないが形は大きく大概は西洋形の帆前船で、その積み荷はこの浜でできる食塩、そのほか土地の者で朝鮮貿易に従事する者の持ち船も少なからず、内海を行き来する和船・・・ 国木田独歩 「少年の悲哀」
・・・それにもかかわらず、何故彼はかくの如く、猛烈に、火を吐く如くに叫び、罵り、挑戦し、さながら僧にしてまた兵の如くに奮闘馳駆しなければならなかったか。 それは天意への絶対尊信と、その奉行のための使命の自覚と、同時代への関心と、祖国の愛護と、・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・通訳が、何か、朝鮮語で云って、手を動かした。腰掛に坐れと云っていることが傍にいる彼に分った。だが鮮人は、飴のように、上半身をねち/\動かして、坐ろうとしなかった。「坐れ、なんでもないんだ。」 老人は、圧えつけられた、苦るしげな声で何・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・ 支那人、朝鮮人たち、労働者が、サヴエート同盟の土を踏むことをなつかしがりながら、大きな露西亜式の防寒靴をはいて街の倶楽部へ押しかけて行った。 十一月七日、一月二十一日には、労働者たちは、河を渡ってやって行く。三月八日には女たちがや・・・ 黒島伝治 「国境」
出典:青空文庫