・・・ 茶店を出ると、蝉の声を聴きながら私はケーブルの乗場へ歩いて行ったが、ちょこちょこと随いてくる父の老妻の皺くちゃの顔を見ながら、ふとこの婆さんに孝行してやろうと思った。そして、気がつくと、私は「今日も空には軽気球……」とぼそぼそ口ずさん・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ それはもう式も間近かに迫ったある日のこと、はたの人にすすめられて、美粧院へ行ったかえり、心斎橋筋の雑閙のなかで、ちょこちょここちらへ歩いて来るあの人の姿を見つけ、あらと立ちすくんでいると、向うでも気づき、えへっといった笑い顔で寄って来・・・ 織田作之助 「天衣無縫」
・・・荒木はその家の遠縁に当る男らしく、師匠に用事のある顔をして、ちょこちょこ稽古場へ現われては、美しい安子に空しく胸を焦していたが、安子が稽古に通い出して一月許りたったある日、町内に不幸があって師匠がその告別式へ顔出しするため、小一時間ほど留守・・・ 織田作之助 「妖婦」
・・・言い終えたら、鼠のような身軽さでちょこちょこ走り去った。「ちえっ! 菊ちゃん、ビイルをおくれ。おめえの色男がかえっちゃった。佐野次郎、呑まないか。僕はつまらん奴を仲間にいれたなあ。あいつは、いそぎんちゃくだよ。あんな奴と喧嘩したら、倒立・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・人間が蟻か何かのように妙にちょこちょこと動くのが滑稽でおもしろい。 千篇一律で退屈をきわめる切り合いや追っ駆けのこんなに多く編入されているわけが自分には了解できない。あるいは、これがいちばん費用がかからないためかとも思う。 こういう・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・幼い岸田劉生氏があるいはそのころ店先をちょこちょこ歩いていたかもしれないという気がする。 新橋詰めの勧工場がそのころもあったらしい。これは言わば細胞組織の百貨店であって、後年のデパートメントストアの予想であり胚芽のようなものであったが、・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・その中に、数人の浪士が、ちょこちょこと駆けずり回る場面がなんべんとなく繰り返される。なぜああいうふうにぎくしゃくした運動をしなければならないものかと思って見ているうちに、ふいと先刻見た熱帯魚を思い出した。スクリーンの長方形の格好もほぼあのガ・・・ 寺田寅彦 「試験管」
・・・ちび猫は三毛を自分の親とでも思いちがえたものか、なつかしそうにちょこちょこ近寄って行って、小さな片方の前足をあげて三毛にさわろうとする。三毛は毒虫にでもさわられたかのように、驚いて尻込みする。それを追いすがって行ってはまた片足を上げる。この・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
・・・何だかちょこちょことやって、もうそれでいいの」「まあね」「まだ何か食べたいものはないんですか」「もう食べあきた。どこへ行っても同じものばかりで。女を買おうと思えば、少しいいのは皆んな封鎖だろう」「そういったような工合だけれど・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・「まあとんでもございません。ちょこちょこと致せば何のこともありは致しません。――私も北海道なぞとあんな遠いところへつれてっていただきましたが、東海道は始めてでございますから――こんな結構なところ拝見させていただきまして」 佐和子は、・・・ 宮本百合子 「海浜一日」
出典:青空文庫