・・・ その答えを聞くと父は疑わしそうにちらっともう一度彼を鋭く見やった。「ずいぶんめんどうなものだろう、これだけの仕事にでも眼鼻をつけるということは」「そうですねえ」 彼はしかたなくこう答えた。父はすぐ彼の答えの響きの悪さに感づ・・・ 有島武郎 「親子」
・・・電気の光りで大きい手を右のポケットに突っこんで拳銃を握るのがちらっと栗本に見えた。「畜生! 撃つんだな。」 彼は立ったまゝ銃をかまえた。その時、橇の上から轟然たるピストルのひゞきが起った。彼は、引金を握りしめた。が引金は軽く、すかく・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・お母さんは、私がこんな本を読んでいるのを知ると、やっぱり安心なような顔をなさるが、先日私が、ケッセルの昼顔を読んでいたら、そっと私から本を取りあげて、表紙をちらっと見て、とても暗い顔をなさって、けれども何も言わずに黙って、そのまますぐに本を・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・みなさんに忘れられないように私の勉強ぶりをときたま、ちらっと覗かせてやろうという卑猥な魂胆のようである。虚栄の市 デカルトの「激情論」は名高いわりに面白くない本であるが、「崇敬とはわれに益するところあらむと願望する情の謂いで・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・そこでこの煮つめたところ、煎じつめたところが沙翁の詩的なところで、読者に電光の機鋒をちらっと見せるところかと思います。これは時間の上の話であります。長い時間の状態を一時に示す詩的な作用であります。 ところで沙翁には今一つの特色があります・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・だからあの繊細な衣のひだをちらっと乱私はまた思いました。 天人は紺いろの瞳を大きく張ってまたたき一つしませんでした。その唇は微かに哂いまっすぐにまっすぐに翔けていました。けれども少しも動かず移らずまた変りませんでした。(ここではあら・・・ 宮沢賢治 「インドラの網」
・・・ ところがそのときオツベルは、ならんだ器械のうしろの方で、ポケットに手を入れながら、ちらっと鋭く象を見た。それからすばやく下を向き、何でもないというふうで、いままでどおり往ったり来たりしていたもんだ。 するとこんどは白象が、片脚床に・・・ 宮沢賢治 「オツベルと象」
・・・ぶなの木さえ葉をちらっとも動かしません。 ただあのつりがねそうの朝の鐘だけは高く高く空にひびきました。 「カン、カン、カンカエコ、カンコカンコカン」おしまいの音がカアンと向こうから戻って来ました。 そして狐が角パンを三つ持って半・・・ 宮沢賢治 「貝の火」
・・・ このおはなしは結局学者のアラムハラドがある日自分の塾でまたある日山の雨の中でちらっと感じた不思議な着物についてであります。 一 アラムハラドが言いました。「火が燃えるときは焔をつくる。焔というものはよく見て・・・ 宮沢賢治 「学者アラムハラドの見た着物」
・・・ かしわの木はちらっと清作の方を見て、ちょっとばかにするようにわらいましたが、すぐまじめになってうたいました。「清作は、葡萄をみんなしぼりあげ 砂糖を入れて 瓶にたくさんつめこんだ。 おい、だれかあとをつづけてくれ。」・・・ 宮沢賢治 「かしわばやしの夜」
出典:青空文庫