・・・見ていると、大空から急降下爆撃で垂直に下って来た新飛行機は、栖方の眼前で、空中分解をし、ずぼりと海中へ突き込んだそのまま、尽く死んでしまった。 また別の話で、ラバァウルへ行く飛行中、操縦席からサンドウィッチを差し出してくれたときのこと、・・・ 横光利一 「微笑」
・・・我々は北極の閾の上に立って、地極というものの衝く息を顔に受けている。 この土地では夜も戸を締めない。乞食もいなければ、盗賊もいないからである。斜面をなしている海辺の地の上に、神の平和のようなものが広がっている。何もかも故郷のドイツなどと・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・ そういう時には自分の悪いことばかりが眼につく。自分の理解を疑う心が激しく沸き立つ。「人生を見る眼が鈍く浅い。安価な自覚でよい心持ちになっている。自分で自分を甘やかすのだ。」こう自分で自分を罵る。そして自分の人格の惨めさに息の詰まるよう・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
・・・それは相戦う力が完全な権衡に達した時の崇高な静寂である。尽くることなき力を人の心に暗示する深い沈黙である。そうして、この簡素な太い力の間を縫う細やかな曲線と色との豊富微妙な伴奏は、荘厳に圧せられた人の心に優しいしめやかな手を触れる。――・・・ 和辻哲郎 「偶像崇拝の心理」
・・・ 私の努力はそれと徹底的に戦って自己の生活を深く築くにある。私の心は日夜休むことがない。私は自分の内に醜く弱くまた悪いものを多量に認める。私は自己鍛錬によってこれらのものを焼き尽くさねばならぬ。しかし同時に私は自分の内に好いものをも認め・・・ 和辻哲郎 「「ゼエレン・キェルケゴオル」序」
・・・これは私が鈍感であったせいかもしれぬが、とにかく私自身は、古い連中が圧制的だと感じたこともなかったし、また漱石に楯を突く態度をけしからぬと思ったこともない。初めのうちは、弟子たちが漱石に対して無遠慮であることから、非常に自由な雰囲気を感じた・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
・・・彼の努力の焦点は自己の永遠の生を築くことである。それはただ愛によってのみなされる。そうしてそこに人類の救済がある。彼は悪を罵っているのみには堪えられない。悪のゆえに人間を憐れみ、自ら苦しむ。大きい愛、宗教的な愛…… ――ここにこそ自分の・・・ 和辻哲郎 「転向」
・・・彼らは私の眼に、世界と人間とが尽くることなき享楽の対象であることの、具体的な証左であった。そのころの私には Sollen の重荷に苦しむ人が笑うべく怯懦に見えた。享楽に飽満しない人が恐ろしく貧弱に見えた。IやJやKが真に愛着に価する人間に見・・・ 和辻哲郎 「転向」
出典:青空文庫