・・・ 祭の日などには舞台据えらるべき広辻あり、貧しき家の児ら血色なき顔を曝して戯れす、懐手して立てるもあり。ここに来かかりし乞食あり。小供の一人、「紀州紀州」と呼びしが振向きもせで行過ぎんとす。うち見には十五六と思わる、蓬なす頭髪は頸を被い・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・百日の後彼は再び鎌倉に帰って松葉ヶ谷の道場を再興し、前にもまして烈々とした気魄をもって、小町の辻にあらわれては、幕府の政治を糺弾し、既成教団を折伏した。すでに時代と世相とに相応した機をつかんで立ってる日蓮の説法が、大衆の胸に痛切に響かないは・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・併し、息子の出発した翌日、既に、道辻で出会った村の人々はみなそれを知っていた。 最初、「まあ、えら者にしようと思うて学校へやるんじゃぁろう。」と、他人から云われると、おきのは、肩身が広いような気がした。嬉しくもあった。「あんた、・・・ 黒島伝治 「電報」
・・・ 麓の方で、なお、辻待の橇を呼ぶロシア語が繰りかえされた。 凍った空気を呼吸するたびに、鼻に疼痛を感じながら栗本は、三和土にきしる病室の扉の前にきた。 扉を押すと、不意に、温かい空気にもつれあって、クレゾールや、膿や、便器の臭い・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・さてそれより塩竈神社にもうでて、もうこの碑、壺の碑前を過ぎ、芭蕉の辻につき、青葉の名城は日暮れたれば明日の見物となすべきつもりにて、知る人の許に行きける。しおがまにてただの一銭となりければ、そを神にたてまつりて、からからとからき・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・ 川近くなって、田舎道の辻の或腰掛茶店に立寄った。それは藤の棚の茶店といって、自然に其処にある古い藤の棚、といってさまで大きくもないが、それに店の半分は掩われているので人にそう呼びならされている茶店である。路行く人や農夫や行商や、野菜の・・・ 幸田露伴 「蘆声」
・・・堂々、辻馬桂治でやってみるつもりだ。」と兄にしては、全く珍らしく、少しも茶化さず、むきになって言って聞かせましたので、私は急に泣きそうになりました。 それから、二月経って、兄は仕事を完成させずに死んでしまいました。様子が変だとWさん御夫・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・新調のその船の名は、細胞文芸、井伏鱒二、林房雄、久野豊彦、崎山兄弟、舟橋聖一、藤田郁義、井上幸次郎、その他数氏、未だほとんど無名にして、それぞれ、辻馬車、鷲の巣、十字街、青空、驢馬、等々の同人雑誌の選手なりしを手紙で頼んで、小説の原稿もらい・・・ 太宰治 「喝采」
・・・ しかし、今私がかりにパリへ行ってその屋根の下を流れ渡り、辻の艶歌師を聞いたり、酒場の一隅に陣取ったりしていると想像した場合に、私の眼前に登場する人物の話している言葉が一つ一つ明確に私にわかるかどうか。私がかりにはえ抜きのパリッ子であっ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・換言すれば勉めて旋毛を曲げてかかる事である。如何なる人が何と云っても自分の腑に落ちるまでは決して鵜呑みにしないという事である。この旋毛曲りの性質がなかったら科学の進歩は如何なったであろうか。 スコラ学派時代に科学の進歩が長い間全く停滞し・・・ 寺田寅彦 「科学上における権威の価値と弊害」
出典:青空文庫