・・・ その間、兵士達は、意識的に、戦争を忘れてケロリとしようと努めるのだった。戦争とは何等関係のない、平時には、軍紀の厳重な軍隊では許されない面白おかしい悪戯や、出たらめや、はめをはずした動作が、やってみたくてたまらなくなるのだった。 ・・・ 黒島伝治 「前哨」
・・・「会社へ勤めるのに新の洋服を拵えにゃならん云うて来とるんじゃ。」為吉は不服そうだった。「今まで服は拵えとったやの。」「あれゃ学校イ行く服じゃ。」「ほんなまた銭要らやの。」「うむ。」「なんぼおこせ云うて来とるどいの?」・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・だから、起した間違いは仕方のねえ事として、その間違いをそれ以上に大きな騒ぎにしないように努めるのが、お前やおれの、まごころというものでないか。署長さんも、決して悪いようにはしないと言っている。あれは、ひとをだましたりなどしない人だ。この町の・・・ 太宰治 「嘘」
・・・したので、津島は老母の里心を察し、亡父の遺産のほとんど全部を気前よく投じて、現在のこの武蔵野の一角に、八畳、六畳、四畳半、三畳の新築の文化住宅みたいなものを買い、自分は親戚の者の手引きで三鷹町の役場に勤める事になったのである。さいわい、戦災・・・ 太宰治 「家庭の幸福」
・・・東京へ帰って来てからは私はただもう闇屋の使い走りを勤める女になってしまったのですもの。五、六年東京から離れているうちに私も変りましたけれども、まあ、東京の変りようったら。夜の八時ごろ、ほろ酔いのブローカーに連れられて、東京駅から日本橋、それ・・・ 太宰治 「貨幣」
・・・あなたのためには身を粉にして努める。生きてゆくから、叱らないで下さい。けれどもそれだけのことであった。語らざれば、うれい無きに似たりとか。その二人の女のうち笹眉をひそめて笑う小柄のひとに、千万の思いをこめて見つめる私の瞳の色が、了解できずに・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・こんど、東京の造船所に勤めることになりました、と晴れやかに笑って言った。私はN君を逃がすまいと思った。台所に、まだ酒が残って在る筈だ。それに、ゆうべW君が、わざわざ持って来てくれた酒が、一升在る。整理してしまおうと思った。きょう、台所の不浄・・・ 太宰治 「酒ぎらい」
・・・私が御所へあがったのは私の十二歳のお正月で、問註所の入道さまの名越のお家が焼けたのは正月の十六日、私はその三日あとに父に連れられ御所へあがって将軍家のお傍の御用を勤めるようになったのですが、あの時の火事で入道さまが将軍家よりおあずかりの貴い・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・――なんとかして、記憶の蔓をたどっていって、その人の肖像に行きつき、あッ、そうか、あれか、と腹に落ち込ませたく、身悶えをして努めるのだが、だめである。その人が、どこの国の人で、いつごろの人か、そんなことは、いまは思い出せなくていいんだ。いつ・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・説の矛盾をわずか数語でもって指摘し去り、ジッドの小説は二流也と一刀のもとに屠り、日本浪曼派は苦労知らずと蹴って落ちつき、はなはだしきは読売新聞の壁評論氏の如く、一篇の物語を一行の諷刺、格言に圧縮せむと努めるなど、さまざまの殺伐なるさまを述べ・・・ 太宰治 「もの思う葦」
出典:青空文庫