・・・その何か奇異な深夜の天象を、花は白く満開のまま、一輪も散らさず、見守っている。―― この花ばかりではない。第一には若葉のひろがりにしてもそうだ。この山名物のつつじにしてもそうだ。北方の春は短かく一時に夏景色になるわけなのに、この高原では・・・ 宮本百合子 「夏遠き山」
・・・ 棄てられた女は、さんざん苦しんだあげく、だんだん霊の不滅、輪廻転生の教えを美しいものと信じるようになり、霊交術にまで熱中しだす。そして、ギリシア神話のように、死んだ男は早ざきのつぼみを持つ紅梅に生れかわっているという幻をえがき、「心を・・・ 宮本百合子 「文芸時評」
・・・うたう雲雀、可愛いい人形から、急に一人の女に転生しようとしたノラの前途に、ふせられていたこの課題は、きょうの日本の勤労女性全般の前に、ノラの時代より、遙かに具体的に矛盾の諸相を呈出している。 結婚の問題にあたって、私たちを深刻に考えこま・・・ 宮本百合子 「離婚について」
・・・親戚朋友がよろこびを言いに来ると、又七郎は笑って、「元亀天正のころは、城攻め野合せが朝夕の飯同様であった、阿部一族討取りなぞは茶の子の茶の子の朝茶の子じゃ」と言った。二年立って、正保元年の夏、又七郎は創が癒えて光尚に拝謁した。光尚は鉄砲十挺・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・さてその縁故をもって赤松左兵衛督殿に仕え、天正九年千石を給わり候。十三年四月赤松殿阿波国を併せ領せられ候に及びて、景一は三百石を加増せられ、阿波郡代となり、同国渭津に住居いたし、慶長の初まで勤続いたし候。慶長五年七月赤松殿石田三成に荷担いた・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・あれは天正十一年に浜松を逐電した時二十三歳であったから、今年は四十七になっておる。太い奴、ようも朝鮮人になりすましおった。あれは佐橋甚五郎じゃぞ」 一座は互いに目を合わせたが、今度はしばらくの間誰一人ことばを出すものがなかった。本多は何・・・ 森鴎外 「佐橋甚五郎」
京都の高瀬川は、五条から南は天正十五年に、二条から五条までは慶長十七年に、角倉了以が掘ったものだそうである。そこを通う舟は曳舟である。元来たかせは舟の名で、その舟の通う川を高瀬川と言うのだから、同名の川は諸国にある。しかし・・・ 森鴎外 「高瀬舟縁起」
出典:青空文庫