・・・その句また 尾張より東武に下る時牡丹蘂深くわけ出る蜂の名残かな 芭蕉 桃隣新宅自画自讃寒からぬ露や牡丹の花の蜜 同等のごとき、前者はただ季の景物として牡丹を用い、後者は牡丹を詠じてきわめて拙きものなり。蕪・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ ケーテは一八六七年七月八日、東部プロイセンのケーニヒスベルクに生れた。父をカール・シュミット、母をケーテ・ループといい、娘ケーテの生れた時代のシュミット一家は、ケーニヒスベルクの左官屋の親方として、なかなか大規模の生活を営んでいた。・・・ 宮本百合子 「ケーテ・コルヴィッツの画業」
・・・イギリスの公園と云えば世界に有名だけれども、ロンドンの東部の公園では、遊んでいる子供も大人も顔色から言葉つきからその骨組の工合まで、西側の人々と異っているというのは何故だろう。 巴里の凱旋門の下では、夜も昼も無名戦士の墓辺の焔がもやしつ・・・ 宮本百合子 「時代と人々」
・・・丁寧に、繩の結びめも柔かくアンペラで頭部をかくまわれた。雪と霜とで傷められるのに忍びないのであろう。 キビの葉は乾いた音をたてて、この辺の焼けあと、あちこちに立っている。白山の停留場に立っていると、昔から鶏声ケ窪と云われた窪地が今はじめ・・・ 宮本百合子 「田端の汽車そのほか」
・・・大体アメリカでは東部より西部の方が人種的差別が甚しい。その西部で生れたアグネスが、カリフォルニヤ大学で、そこの理事会がインド人の講演に反対したことから、有色人種に対する研究心を刺戟され、永年に亙る人種的偏見への闘争をはじめていることはまこと・・・ 宮本百合子 「中国に於ける二人のアメリカ婦人」
・・・ 大宮を過ると、東武線の茶色の電車が、走っている汽車に見る見る追いぬかれながら、におのある榛の木の間、田圃のむこうを通った。まだ短い麦畑の霜どけにぬかるみながら、腹がけをした電信工夫が新しい電柱を立てようとしている作業が目を掠める。・・・ 宮本百合子 「東京へ近づく一時間」
出典:青空文庫