・・・ところが大哲学者もとより御人好の質なれば得意になッて鼻をクンクンいわせながら饒舌り出す。どうも凡人は困りますよ、社会を直線ずくめに仕たがるのには困るよ。チト宇宙の真理を見ればよいのサ。政事家は政事家で、自己の議論を実行して世界を画一のものに・・・ 幸田露伴 「ねじくり博士」
・・・釣も釣でおもしろいが、自分はその平野の中の緩い流れの附近の、平凡といえば平凡だが、何ら特異のことのない和易安閑たる景色を好もしく感じて、そうして自然に抱かれて幾時間を過すのを、東京のがやがやした綺羅びやかな境界に神経を消耗させながら享受する・・・ 幸田露伴 「蘆声」
・・・其一例を示せば、 我日本国の帝室は地球上一種特異の建設物たり。万国の史を閲読するも此の如き建設物は一個も有ること無し。地上の熱度漸く下降し草木漸く萠生し那辺箇辺の流潦中若干原素の偶然相抱合して蠢々然たる肉塊を造出し、日照し風乾かし耳・・・ 幸徳秋水 「文士としての兆民先生」
・・・女とわざと手を突いて言うを、ええその口がと畳叩いて小露をどうなさるとそもやわたしが馴れそめの始終を冒頭に置いての責道具ハテわけもない濡衣椀の白魚もむしって食うそれがし鰈たりとも骨湯は頂かぬと往時権現様得意の逃支度冗談ではござりませぬとその夜・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・ そういう三郎は左を得意としていた。腕押しに、骨牌に、その晩は笑い声が尽きなかった。 翌日はもはや新しい柱時計が私たちの家の茶の間にかかっていなかった。次郎はそれを厚い紙箱に入れて、旅に提げて行かれるように荷造りした。 その時に・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・而してその特異なる點は天文暦日に關するもの也。即ち天に關する分子なり。 次に舜典に徴するに、舜は下流社會の人、孝によりて遂に帝位を讓られしが、その事蹟たるや、制度、政治、巡狩、祭祀等、苟も人君が治民に關して成すべき一切の事業は殆どすべて・・・ 白鳥庫吉 「『尚書』の高等批評」
・・・と手に持った厚紙の蓋を鑵詰へ被せると、箱の中から板切れを出して、それを提げて、得意になって押入の前へ行く。「章ちゃん、もう夜はそんな押入なぞへはいるもんじゃないよ」と小母さんが止めると、「だってお母さん。写真を薬でよくするんじゃあり・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・それでも末弟は、得意である。調子が出て来た、と内心ほくほくしている。「やたらに煩瑣で、そうして定理ばかり氾濫して、いままでの数学は、完全に行きづまっている。一つの暗記物に堕してしまった。このとき、数学の自由性を叫んで敢然立ったのは、いまのそ・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・私が少しでも、あなたに関心を持っているとしたら、それはあなたの特異な職業に対してであります。市民を嘲って芸術を売って、そうして、市民と同じ生活をしているというのは、なんだか私には、不思議な生物のように思われ、私はそれを探求してみたかったとい・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・青扇が日頃、へんな自矜の怠惰にふけっているのを真似て、この女も、なにかしら特異な才能のある夫にかしずくことの苦労をそれとなく誇っているのにちがいないと思ったのである。爽快な嘘を吐くものかなと僕は内心おかしかった。けれどこれしきの嘘には僕も負・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
出典:青空文庫