・・・彼等の一人は、――真紅の海水着を着た少女は特にずんずん進んでいた。と思うと乳ほどの水の中に立ち、もう一人の少女を招きながら、何か甲高い声をあげた。その顔は大きい海水帽のうちに遠目にも活き活きと笑っていた。「水母かな?」「水母かも知れ・・・ 芥川竜之介 「海のほとり」
・・・この月桂樹は僧正によって祭壇から特にお前に齎らされたものだ。僧正の好意と共に受けおさめるがいい」 クララが知らない中に祭事は進んで、最後の儀式即ち参詣の処女に僧正手ずから月桂樹を渡して、救世主の入城を頌歌する場合になっていたのだ。そして・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・そうしてこの結論は、特に実業界などに志す一部の青年の間には、さらにいっそう明晰になっている。曰く、「国家は帝国主義でもって日に増し強大になっていく。誠にけっこうなことだ。だから我々もよろしくその真似をしなければならぬ。正義だの、人道だのとい・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・ 花の蜃気楼だ、海市である……雲井桜と、その霞を称えて、人待石に、氈を敷き、割籠を開いて、町から、特に見物が出るくらい。 けれども人々は、ただ雲を掴んで影を視めるばかりなのを……謹三は一人その花吹く天――雲井桜を知っていた。 夢・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・成績を見るに至るは当然の理であるからである、日本の茶の湯はどこまでも賓主的であるが、欧州人のは賓主的にも家庭的にも行はれて甚だ自然である、日本の茶の湯は特別的であるが欧洲人のは日常の風習である、吾々の特に敬服感嘆に堪えないのは其日常の点と家・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・ こう言って、青木が僕の方を見た時には、僕の目に一種の勝利、征服、意趣返し、または誇りとも言うべき様子が映ったので、ひょッとすると、僕と吉弥の関係を勘づいていて特に金ずくで僕に対してこれ見よがしのふりをするのではないかと思われた。 ・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・明治の初年に渡来した英国人の画家ワグマンとも深く交わった。特にワグマンについて真面目に伝習したとは思われないが、ブラシの使い方や絵具の用法等、洋画のテクニックの種々の知識を教えられた事はあるようだ。明治八、九年頃の画家番附に淡島椿岳の上に和・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・それとも、今夜は、特にさえて見えるのだろうか。 彼女は、無意識のうちに、「私の生まれた、北国では、とても星の光が強く、青く見えてよ。」といった、若い上野先生の言葉が記憶に残っていて、そして、いつのまにか、その好きだった先生のことを思い出・・・ 小川未明 「青い星の国へ」
・・・そこで、あわてて文部大臣賞というものを特に作って、それを寿子に与えることにして、主催者側はやっと満足した。それほどの素晴しい出来栄えだったのである。 審査に立ち合ったクロイツァーは、「自分は十三歳のエルマンの演奏を聴いたことがあるが・・・ 織田作之助 「道なき道」
・・・鑵の凹みは、Yが特に、毎朝振り慣れた鉄唖鈴で以て、左りぎっちょの逞しい腕に力をこめて、Kの口調で云うと、「えゝ憎き奴め!」とばかり、殴りつけて寄越したのだそうであった。「……K君そりゃ本当の話かね? 何でまたそれ程にする必要があったんか・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
出典:青空文庫