・・・晩年大河内子爵のお伴をして俗に柘植黙で通ってる千家の茶人と、同気相求める三人の変物揃いで東海道を膝栗毛の気散じな旅をした。天龍まで来ると川留で、半分落ちた橋の上で座禅をしたのが椿岳の最後の奇の吐きじまいであった。 臨終は明治二十二年九月・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・彼に、こうした興味を呼び起した動機は、偶然、野原かどこかで、小さな美しい草ぜみの死骸を見出したことからです。「お父さん、ごらんなさい。こんな小さいせみがありますよ」 と、示されたのを見た時に、自分も、おどろいたのでした。この年齢・・・ 小川未明 「近頃感じたこと」
・・・何の主義によらず唱えらるゝに至った動機、世間が之を認めたまでには、痛切な根柢と時勢に対する悲壮な反抗と思想上の苦闘があったことを知らなければならぬ。だから、批評家が一朝机上の感想で、之を破壊することは不可能であるし、また無理だと思う。 ・・・ 小川未明 「若き姿の文芸」
・・・が、この記録を一篇の小説にたとえるとすれば、そのヤマは彼女が石田の料亭の住込仲居になる動機と径路ではなかろうか、――彼女は石田の所へ雇われる前、名古屋の「寿」という料亭の仲居をしていた。その時中京商業の大宮校長と知り合った、大宮校長は検事の・・・ 織田作之助 「世相」
・・・その口答試問の席上で、志願の動機や家庭の情況を問われた時、「姉妹二人の暮しでしたが……。」 と言いながら、道子は不覚にも涙を落し、「あ、こんなに取り乱したりして、きっと口答試問ではねられてしまうわ。」 と心配したが、それから・・・ 織田作之助 「旅への誘い」
・・・彼はあの作の動機に好意を持っていてくれてる。モグラモチのように蠢きながらも生きて行かねばならぬ、罪業の重さに打わなきながらも明るみを求めて自棄してはならぬ――こういった彼の心持の真実は自分にもよくわかる気がする。といって自分のあの作が、それ・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・最初の動機は、Fの意気地なしの懲しめと慰めとを兼ねて一週間も遊びに帰えすつもりだったのが、つい自分ながらいくらか意外なような結果になったのだった。しかしこうした場合だから迷わんで断行した方がいいと私はしいて気を張っていたが、さすがにFと別れ・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・彼は二間ほどもない梯子を登り降りするのに胸の動悸を感じた。屋根の端の方へは怖くて近寄れもせなかった。その男は汚ない褌など露わして平気でずぶずぶと凹む軒端へつくばっては、新しい茅を差していた。 彼は屋根の棟に腰かけて、ほかほかと暖かい日光・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・そして咳がふいに心臓の動悸を高めることがあるのは吉田も自分の経験で知っていた。それで納得のいった吉田ははじめてそうではない旨を返事すると、その女はその返事には委細かまわずに、「その病気に利くええ薬を教えたげまひょか」 と、また脅かす・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・しかし利他の動機は確かに利己から独立に存在しても、利己と利他とが矛盾するときいずれをさきに、いかなる条件にしたがって満足せしむべきかの問題は依然として残る。これが「ギリシャ主義とキリスト教主義との調和の道」を求めねばならぬ所以であり、他人の・・・ 倉田百三 「学生と教養」
出典:青空文庫