・・・ 亜米利加人は惜しげもなく、三百弗の小切手を一枚、婆さんの前へ投げてやりました。「差当りこれだけ取って置くさ。もしお婆さんの占いが当れば、その時は別に御礼をするから、――」 婆さんは三百弗の小切手を見ると、急に愛想がよくなりまし・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・見ると帽子は投げられた円盤のように二、三間先きをくるくるとまわって行きます。風も吹いていないのに不思議なことでした。僕は何しろ一生懸命に駈け出して帽子に追いつきました。まあよかったと安心しながら、それを拾おうとすると、帽子は上手に僕の手から・・・ 有島武郎 「僕の帽子のお話」
・・・そして魚を鉤から脱して、地に投げる。 魚は死ぬる。 湖水は日の光を浴びて、きらきらと輝いて、横わっている。柳の、日に蒸されて腐る水草のがする。ホテルからは、ナイフやフォオクや皿の音が聞える。投げられた魚は、地の上で短い、特色のある踊・・・ 著:アルテンベルクペーター 訳:森鴎外 「釣」
・・・その人も無げなる事、あたかも妓を傍にしたるがごとし。あまつさえ酔に乗じて、三人おのおの、その中三婦人の像を指し、勝手に選取りに、おのれに配して、胸を撫で、腕を圧し、耳を引く。 時に、その夜の事なりけり。三人同じく夢む。夢に蒋侯、その伝教・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・これはまた、纔かに板を持って来て、投げたにすぎぬ。池のつづまる、この板を置いた切れ口は、ものの五歩はない。水は川から灌いで、橋を抜ける、と土手形の畦に沿って、蘆の根へ染み込むように、何処となく隠れて、田の畦へと落ちて行く。 今、汐時で、・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・追いつ追われつ、草花を採ったり小石を拾って投げたり、蛇がいたと言っては三人がしがみ合ったりして、池の岸を廻ってゆく。「省さん、蛇王様はなで皹の神様でしょうか」「なでだか神様のこたあ私にゃわかんねい」「それじゃ蛇王様は皹の事ばかり・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・前年など、かかえられていた芸者が、この娘の皮肉の折檻に堪えきれないで、海へ身を投げて死んだ。それから、急に不評判になって、あの婆さんと娘とがいる間は、井筒屋へは行ってやらないと言う人々が多くなったのだそうだ。道理であまり景気のいい料理店では・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・と細い眼をして叱りつけ、庭先きへ追出しては麺麭を投げてやった。これが一日の中の何よりの楽みであった。『平凡』に「……ポチが私に対うと……犬でなくなる。それとも私が人間でなくなるのか?……どっちだかそれは解らんが、とにかく相互の熱情熱愛に人畜・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・ 女房は夢の醒めたように、堅い拳銃を地に投げて、着物の裾をまくって、その場を逃げ出した。 女房は人けのない草原を、夢中になって駈けている。ただ自分の殺した女学生のいる場所からなるたけ遠く逃げようとしているのである。跡には草原の中に赤・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・ いつも快活で、そして、また独りぼっちに自分を感じた年子は、しばらく、柔らかな腰掛けにからだを投げて、うっとりと、波立ちかがやきつつある光景に見とれて、夢心地でいました。「このはなやかさが、いつまでつづくであろう。もう、あと二時間、・・・ 小川未明 「青い星の国へ」
出典:青空文庫