・・・ 七日、朝いと夙く起き出でて、自ら戸を繰り外の方を見るに、天いと美わしく横雲のたなびける間に、なお昨夜の名残の電光す。涼しき中にこそと、朝餉済ますやがて立出ず。路は荒川に沿えど磧までは、あるは二、三町、あるいは四、五町を隔てたれば水の面・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・ 東京まで出て行って見ると、震災の名残はまだ芝の公園あたりにも深かった。そこここの樹蔭には、不幸な避難者の仮小屋も取払われずにある。公園の蓮池を前に、桜やアカシヤが影を落している静かな一隅が、お三輪の目ざして行ったところだ。葦簾で囲った・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・新潟で一日、高等学校の生徒を相手にして来た余波で私は、ばかに行儀正しくなっていた。女中さんにも、棒を呑んだような姿勢で、ひどく切口上な応対をしていた。自分ながら可笑しかったが、急にぐにゃぐにゃになる事も出来なかった。食事の時も膝を崩さなかっ・・・ 太宰治 「佐渡」
・・・時に依って万歳の叫喚で送られたり、手巾で名残を惜まれたり、または嗚咽でもって不吉な餞を受けるのである。列車番号は一〇三。 番号からして気持が悪い。一九二五年からいままで、八年も経っているが、その間にこの列車は幾万人の愛情を引き裂いたこと・・・ 太宰治 「列車」
・・・私は、ただ一人淋しく、森のはずれの切株に腰をかけて、かすかな空の微光の中に消えて行く絃の音の名残を追うている。 気がつくと、曲は終っている。そして、膝にのせた手のさきから、燃え尽した巻煙草の灰がほとりと落ちて、緑のカーペットに砕ける。・・・ 寺田寅彦 「秋の歌」
・・・測られぬ風の力で底無き大洋をあおって地軸と戦う浜の嵐には、人間の弱い事、小さな事が名残もなく露われて、人の心は幽冥の境へ引寄せられ、こんな物も見るのだろうと思うた。 嵐は雨を添えて刻一刻につのる。波音は次第に近くなる。 室へ帰る時、・・・ 寺田寅彦 「嵐」
・・・同じ線のリズムの余波は、あるいは衣服の襟に、あるいは器物の外郭線に反映している。たとえば歌麿の美人一代五十三次の「とつか」では、二人の女の髷の頂上の丸んだ線は、二人の襟と二つの団扇に反響して顕著なリズムを形成している。写楽の女の変な目や眉も・・・ 寺田寅彦 「浮世絵の曲線」
・・・その後の余波となるべき裁判所の場面もちょっと面白い。証拠物件に蝋管蓄音機が持出されたのに対して検事が違法だと咎めると、弁護士がすぐ「前例」を持出すのや、裁判長のロードの少々勘の悪いところなどが如何にもイギリスらしくて、いつものアメリカの裁判・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(5[#「5」はローマ数字、1-13-25])」
・・・このの中では銀座というものが印象的にはかなり重要な部分を占めていた、それの影響が後年の――の中の自分の銀座観に特別の余波を及ぼしていることはたしかである。 震災以後の銀座には昔の「煉瓦」の面影はほとんどなくなってしまった。第二の故郷の一・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・時戸まどいをさせた、そのオリジナリティに対する賛美に似たあるものと、もう一つには、その独創的計画をどこまでも遂行しようという耐久力の強さ、しかも病弱の体躯を寒い上空の風雨にさらし、おまけに渦巻く煤煙の余波にむせびながら、飢渇や甘言の誘惑と戦・・・ 寺田寅彦 「時事雑感」
出典:青空文庫