・・・朝一遍田を見廻って、帰ると宅の温かい牛乳がのめるし、読書に飽きたら花に水でもやってピアノでも鳴らす。誰れに恐れる事も諛う事も入らぬ、唯我独尊の生涯で愉快だろうと夢のような呑気な事を真面目に考えていた。それで肺炎から結核になろうと、なるまいと・・・ 寺田寅彦 「枯菊の影」
・・・ またある日、地下鉄からおりて歩きだすと同時に車も動きだして、ポーッと圧搾空気の汽笛を鳴らす、すると左の手に持っているふろしき包みの中の書物が共鳴して振動する。その振動が手の指先に響いてびりびりとしびれるように感じられた。 研究室へ・・・ 寺田寅彦 「試験管」
・・・われを疑うアーサーの前に恥ずる心は、疑わぬアーサーの前に、わが罪を心のうちに鳴らすが如く痛からず。ギニヴィアは悚然として骨に徹する寒さを知る。「人の身の上はわが上とこそ思え。人恋わぬ昔は知らず、嫁ぎてより幾夜か経たる。赤き袖の主のランス・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・白木の宮に禰宜の鳴らす柏手が、森閑と立つ杉の梢に響いた時、見上げる空から、ぽつりと何やら額に落ちた。饂飩を煮る湯気が障子の破れから、吹いて、白く右へ靡いた頃から、午過ぎは雨かなとも思われた。 雑木林を小半里ほど来たら、怪しい空がとうとう・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・これを思えば、今の民権論者が不平を鳴らすその間に、識らず知らずしてその分界を踏出し、あるいは他より来りてその界を犯し、不平の一点において、かの守旧家と一時の抱合をなすのおそれなしというべからず。理をもって論ずれば、万々心配なきが如くなれども・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・死者若し霊あらば必ず地下に大不平を鳴らすことならん。伝え聞く、箱館の五稜郭開城のとき、総督榎本氏より部下に内意を伝えて共に降参せんことを勧告せしに、一部分の人はこれを聞て大に怒り、元来今回の挙は戦勝を期したるにあらず、ただ武門の習として一死・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・と札の立つ秋風や酒肆に詩うたふ漁者樵者鹿ながら山影門に入日かな鴫遠く鍬すゝぐ水のうねりかな柳散り清水涸れ石ところ/″\水かれ/″\蓼かあらぬか蕎麦か否か我をいとふ隣家寒夜に鍋を鳴らす 一句五字または七字のうち・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・なぜ足をだぶだぶ鳴らすんだい。」と言いながらまた笑いました。「うわあい。」と一郎は言いましたが、なんだかきまりが悪くなったように、「石取りさないが。」と言いながら白い丸い石をひろいました。「するする。」こどもらがみんな叫びました・・・ 宮沢賢治 「風の又三郎」
・・・ さっきからの音がいよいよ近くなり、すぐ向うの丘のかげでは、さっきのらしい馬のひんひん啼くのも鼻をぶるるっと鳴らすのも聞えたんだ。 四角な家の生物が、脚を百ぺん上げたり下げたりしたら、ペムペルとネリとはびっくりして眼を擦った。向うは・・・ 宮沢賢治 「黄いろのトマト」
・・・一太の家の方と違い、この辺は静かで一太が鳴らす落葉の音が木の幹の間をどこまでも聞えて行った。一太は少し気味悪い。一太は竹の三股を担いで栗の木の下へ行った。なるほど栗がなっている。一太は一番低そうな枝を目がけ力一杯ガタガタ三股でかき廻した。弾・・・ 宮本百合子 「一太と母」
出典:青空文庫