・・・私はしばらく襖から眼をはなさなかった。なんとなく宿帳を想い出した。 いよいよ眠ることにして、灯を消した。そして、じっと眼をつむっていると、カシオペヤ星座が暗がりに泛び上って来た。私は空を想った。降るような星空を想った。清浄な空気に渇えた・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・……「なんだってあの人はあゝ怒ったの?」「やっぱし僕達に引越せって訳さ。なあにね、明日あたり屹度母さんから金が来るからね、直ぐ引越すよ、あんな奴幾ら怒ったって平気さ」 膳の前に坐っている子供等相手に、斯うした話をしながら、彼はや・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・というふうに見えたということなんです」「そうだ。それは大いにそうだ。いや、それがほんとうかもしれん。僕もそんなことを感じていたような気がする」 酔った方の男はひどく相手の言ったことに感心したような語調で残っていたビールを一息に飲んで・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・「けれども君は、かの後の事はよく知るまい、まもなく君は木村と二人で転宿してしまったから……なんでも君と木村が去ってしまって一週間もたたないうちだよ、ばあさんたまらなくなって、とうとう樋口をくどいて国郷に帰してしまったのは。ばアさん、泣き・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・「立派な男子におなんなさい。私たちに相応しいもののために私たちの美はあるのです」 彼女たちはたしかに美しき、善き何ものかである。少なくともそれにつながったものである。美と徳との理念をはなれて、彼女たちを考えることはできぬ。したがって・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・ 俸給が、その時、戦時加俸がついてなんでも、一カ月五円六十銭だった。兵卒はそれだけの金で一カ月の身ざんまいをして行かねばならない。その上、なお一円だけ貯金に、金をとられるのだ。個人的な権限に属することでも、命じられた以上は、他を曲げて実・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・「マアそうサなんて、変な仰り様ネ。どういうこと?」「…………」「辞職?」と聞いたのは、吾が夫と中村という人とは他の教官達とは全く出が異っていて、肌合の職人風のところが引装わしてもどこかで出る、それは学校なんぞというものとは映・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・ されど、今のわたくし自身にとっては、死刑はなんでもないのである。 わたくしが、いかにしてかかる重罪をおかしたのであるか。その公判すら傍聴を禁止された今日にあっては、もとより、十分にこれをいうの自由はもたぬ。百年ののち、たれかあるい・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・君チャンノオ母ッチャハ、ナンデ今フユデナイカト云ッテ、泣イテバカリ居タノ。 オ父ッチャモ泣イテルノ。ムネイタイノ、ト君チャンガキクト、イヤト頭ヲフルノ。アトニナッテ、又ムネイタイノ、トキクト、ダマッテ目ヲツブッテ、ソレカラムネナンテ何ン・・・ 小林多喜二 「テガミ」
・・・君チャンノオ母ッチャハ、ナンデ今フユデナイカト云ッテ、泣イテバカリ居タノ。 オ父ッチャモ泣イテルノ。ムネイタイノ、ト君チャンガキクト、イヤト頭ヲフルノ。アトニナッテ、又ムネイタイノ、トキクト、ダマッテ目ヲツブッテ、ソレカラムネナンテ何ン・・・ 小林多喜二 「テガミ」
出典:青空文庫