・・・少からず、てれくさい思いであったが、暴虎馮河というような、すさんだ勢いで、菊屋へ押しかけ、にこりともせず酒をたのんだ。 その夜、僕たちはおかみさんから意外の厚遇を賜った。困るわねえ、などと言いながらも、そっとお銚子をかえてくれる。われら・・・ 太宰治 「未帰還の友に」
・・・やはり、自転車に乗って三鷹郵便局にやって来て、窓口を間違ったり等して顔から汗をだらだら流し、にこりともせず、ただ狼狽しているのである。 私はそんな男女川の姿を眺め、ああ偉いやつだといつも思う。よっぽど出来た人である。必ずや誠実な男だ。・・・ 太宰治 「男女川と羽左衛門」
・・・ とにこりともせず、そう言った。 はてな? とも思ったが、私は笑って、「なんですか? どうしたのです。あぐらになさいませんか、あぐらに。」 と言ったら、彼は立ち上り、「ちょっと、手を洗わせて下さい。それから、あなたも、手・・・ 太宰治 「女神」
・・・という工合いの何一つ面白くも、可笑しくもない冗談がいつまでも、ペラペラと続き、私は日本の酔客のユウモア感覚の欠如に、いまさらながらうんざりして、どんなにその紳士と主人が笑い合っても、こちらは、にこりともせず酒を飲み、屋台の傍をとおる師走ちか・・・ 太宰治 「メリイクリスマス」
・・・ じゃ、私の顔が見えるかいと一心に聞くと、見えるかいって、そら、そこに、写ってるじゃありませんかと、にこりと笑って見せた。自分は黙って、顔を枕から離した。腕組をしながら、どうしても死ぬのかなと思った。 しばらくして、女がまたこう云っ・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
出典:青空文庫