・・・似顔漫画が写真よりもいっそうよくその人に似るというのと同様に、対象の特徴の或る少数なる要素を抽出し誇張して、それをモンタージュ的に構成することによって、実物よりもいっそう実在的なものを創造するのである。近ごろ見た漫画の中に登場した一匹の犬な・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・マレイ語から語頭のLを除くと日本語に似るものの多い事はすでに先覚者も注意した事である。その他にも頭の子音を除いてアソ型になるもの Kasa, Daisen, Tyausu, Nasu があることに注意したい。しかし私はこのようなわずかの材料・・・ 寺田寅彦 「火山の名について」
・・・その形に似るをよしとす。法手本とするところは。すなわちその物なりと心得たる者も無きにもあらず。……」(司馬江漢、『春波楼筆記 科学界にも京人と奥州人がある。ロマンチシズムとクラシシズムの両極の間に世界が回転する。 五・・・ 寺田寅彦 「人の言葉――自分の言葉」
・・・漫画が実物と似ない点において正に実物自身よりも実物に似るというパラドクシカルな言明はそのままに科学上の知識に適用する事が出来る。 ただ科学は主として物質界の現象に関係しているために、換言すれば人間の能知と切り離された所知者自身の間の交渉・・・ 寺田寅彦 「漫画と科学」
・・・ 六 藁が真綿になる話 藁にある薬品を加えて煮るだけでこれを真綿に変ずる方法を発明したと称して、若干の資本家たちに金を出させた人がある。ところがそれが詐偽だという事になって検挙され、警視庁のお役人たちの前で「実験」を・・・ 寺田寅彦 「路傍の草」
・・・傾きやすき冬日の庭に塒を急ぐ小禽の声を聞きつつ梔子の実を摘み、寒夜孤燈の下に凍ゆる手先を焙りながら破れた土鍋にこれを煮る時のいいがたき情趣は、その汁を絞って摺った原稿罫紙に筆を執る時の心に比して遥に清絶であろう。一は全く無心の間事である。一・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・泊っている荷舟の苫屋根が往来よりも高く持上って、物を煮る青い煙が風のない空中へと真直に立昇っている。鯉口半纏に向鉢巻の女房が舷から子供のおかわを洗っている。橋の向角には「かしぶね」とした真白な新しい行燈と葭簀を片寄せた店先の障子が見え、石垣・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・且又炎暑の時節には火をおこして物を煮る気にもなれない。まずいのを忍んで飲食店の料理を食うのが或時には便宜である。これが僕をして遂にカッフェーの客たらしめた理由の一である。 僕は築地の路地裏から現在の家に琴書を移し運んでより此の方、袖の長・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・「薬を掘り、草を煮るは隠士の常なり。ランスロットを蘇してか」と父は話し半ばに我句を投げ入るる。「よみ返しはしたれ。よみにある人と択ぶ所はあらず。われに帰りたるランスロットはまことのわれに帰りたるにあらず。魔に襲われて夢に物いう人の如・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・「まあ煮るんだが、半分煮るんだ。半熟を知らないか」「いいえ」「知らない?」「知りまっせん」「どうも辟易だな」「何でござりまっす」「何でもいいから、玉子を持って御出。それから、おい、ちょっと待った。君ビールを飲むか・・・ 夏目漱石 「二百十日」
出典:青空文庫