・・・その詩や、ハイネ、ゲーテの訳詩に感心したのでもない。が、その編纂した泰西名詩訳集は私の若い頃何べんも繰りかえしてよんだ書物であった。 春月と同年の生れで春月より三年早く死んだ芥川龍之介は、、私くらいの年恰好の者には文学の上でも年齢の上で・・・ 黒島伝治 「短命長命」
・・・「撃てッ! 撃てッ! パルチザンを鏖にしてしまうんだ! うてッ! うたんか!」 士官は焦躁にかられだして兵士を呶鳴りつけた。「ハイ、うちます。」 また、弾丸が空へ向って呻り出た。「うてッ! うてッ!」「ハイ。」 ・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・「ハイ。」「は。」「は。」 呼ばれた顔は一ツ一ツ急にさッと蒼白になった。そして顔の筋肉が痙攣を起した。「ハイ。」 栗本はドキリとした。と、彼も頬がピク/\慄え引きつりだした。「今、ここに呼んだ者は、あした朝食後退・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・と少し叱り気味で云うと、「ハイ、ハイ、ご道理さまで。」と戯れながらお近はまた桑を採りに圃へ入る。それと引違えて徐に現れたのは、紫の糸のたくさんあるごく粗い縞の銘仙の着物に紅気のかなりある唐縮緬の帯を締めた、源三と同年か一つも上で・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
見るさえまばゆかった雲の峰は風に吹き崩されて夕方の空が青みわたると、真夏とはいいながらお日様の傾くに連れてさすがに凌ぎよくなる。やがて五日頃の月は葉桜の繁みから薄く光って見える、その下を蝙蝠が得たり顔にひらひらとかなたこな・・・ 幸田露伴 「太郎坊」
・・・今はじまったことでは無いが、自分は先輩のいかにも先輩だけあるのに感服させられて、ハイなるほどそうですネ、ハイなるほどそうですネ、と云っていると、東坡巾の先生はてんぜんとして笑出して、君そんなに感服ばかりしていると、今に馬糞の道傍に盛上がって・・・ 幸田露伴 「野道」
・・・と云われると、それが厳しい叱咤であろうと何であろうと、活路を死中に示され、暗夜に灯火を得たが如く、急に涙の顔を挙げて、「ハイ」と答えたが、事態の現在を眼にすると、復今更にハラハラと泣いて、「まことに相済みませぬ疎忽を致しました。・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・ 又、ズロースをはいてやがる!」 なれてくると、俺もそんな冗談を云うようになった。「共産党がそんなことを云うと、品なしだぜ。」 とエンコに出ている不良がひやかした。 よく小説にあるように、俺たちは何時でもむずかしい、深刻な面・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・お前何時頃出れるか分らないかときいたら、ハイお母さん有難うございますッて云うんだよ。俺びっくりしてしまった。これ、進や、お前頭悪くしたんでないかッて云ったら、お母アの方ば見もしないで、窓の方ば見たり、自分の爪ば見たりして、ニヤ/\と笑うんだ・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・ 女は酒をつぐと、「ハイ」と彼に言った。「俺は飲まないんだ。君に飲ませるよ」「どうして?」「飲みたくないんだ」彼は女の手に盃を持たしてやった。「ソお」女は今度はすぐ飲んだ。 龍介は注いでやった。「本当、いいの・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
出典:青空文庫