・・・した個性の発展上極めて必要なものであって、その個性の発展がまたあなたがたの幸福に非常な関係を及ぼすのだから、どうしても他に影響のない限り、僕は左を向く、君は右を向いても差支ないくらいの自由は、自分でも把持し、他人にも附与しなくてはなるまいか・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・だが老いて既に耄碌し、その上酒精中毒にかかった頭脳は、もはや記憶への把持を失い、やつれたルンペンの肩の上で、空しく漂泊うばかりであった。遠い昔に、自分は日清戦争に行き、何かのちょっとした、ほんの詰らない手柄をした――と彼は思った。だがその手・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・ 素直にその心持を受入れる人は、活溌な微笑の所有者であり、明快な理智の把持者である対象に、人間らしい心持で、いいなと思います。が、従来多くの男性を圧殺し続けて来た、所謂男らしさに心の歪けさせられた者は、憧憬をねじ向けて、嫌厭に突込んでし・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・幼稚であり、未開であるにしろ、生活にこれが第一、というのを把持していた、いようとした跡が見える。 今日、私共の上野図書館は、遙に進んだシステムによって管理されている。が、アの部を牽くと、アイ藍が真先に出る! そして誰もこれに驚かない・・・ 宮本百合子 「蠹魚」
・・・美術学校の左側の塀を越して、紅葉した黄櫨の枝がさし出ている。初冬の午後の日光に、これがほんとに蜀紅という紅なのだと思わせて燃えている黄櫨の、その枝かげを通りすがりに、下から見上げたら、これはまた遠目にはどこにも分らなかった柔かい緑のいろが紅・・・ 宮本百合子 「図書館」
・・・然し、プロレタリア独裁のソヴェトに於ける革命をもろとも経験した文学団体の間でも、最近五ヵ年計画による社会主義的再建設に際して、レーニズムのイディオロギーを薄弱に把持する「同伴者」の団体は指導勢力をより純正な革命作家連盟にゆずった。「同伴者」・・・ 宮本百合子 「ニッポン三週間」
・・・ 天性数学的な頭脳を持ち、研究心と把持力とを具えたロザリーは、自ら、事務的なことに興味を持ち出しました。 彼女は、事務所の仕事、金融、手形の神秘的働なぞのうちに、音楽や美術に見出せると同様の亢奮とつきない興味とを覚えました。 一・・・ 宮本百合子 「「母の膝の上に」(紹介並短評)」
・・・それから櫨のような真紅な色になる葉との間に、実にさまざまな段階、さまざまな種類がある。それが大きい樹にも見られれば、下草の小さい木にも見られる。 私が初めて東山の若王子神社の裏に住み込んだのは、九月の上旬であったが、一月あまりたってよう・・・ 和辻哲郎 「京の四季」
出典:青空文庫