・・・野暮めがな。はて、見ていれば綺麗なものを、仇花なりとも美しく咲かしておけば可い事よ。三の烏 なぞとな、お二めが、体の可い事を吐す癖に、朝烏の、朝桜、朝露の、朝風で、朝飯を急ぐ和郎だ。何だ、仇花なりとも、美しく咲かしておけば可い事だ。から・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・ 考え出すと果てがない。省作は胸がおどって少し逆上せた。人に怪しまれやしまいかと思うと落ち着いていられなくなった。省作は出たくもない便所へゆく。便所へいってもやはり考えられる。 それではおとよさんは、どうもおれを思ってるのかもしれな・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・大石軍曹はて云うたら、僕がやられたところよりも遙かさきの大きな岩の上に剣さきを以て敵陣を指したまま高須聨隊長が倒れとった、その岩よりもそッとさきに進んだところで、敵の第一防禦の塹壕内に死んどったんが、大石軍曹と同じ名の軍曹であったそうや。」・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・ 愉快な問題にも、不愉快な疑問にも、僕は僕そッくりがひッたり当て填る気がして、天上の果てから地の底まで、明暗を通じて僕の神経が流動瀰漫しているようだ。すること、なすことが夢か、まぼろしのように軽くはかどった。そのくせ、得たところと言って・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・』 はて、解らん。何の事ッたろう。何度読直しても『今朝店焼けた』としか読めない。金城鉄壁ならざる丸善の店が焼けるに決して不思議は無い筈だが、今朝焼けるとも想像していないから、此簡単な仮名七字が全然合点めなかった。 且此朝は四時半から・・・ 内田魯庵 「灰燼十万巻」
・・・けれど、ただ青い、青い海の上に月の光が、はてしなく、照らしているばかりでありました。 娘は、また、すわって、ろうそくに絵を描いていました。すると、このとき、表の方が騒がしかったのです。いつかの香具師が、いよいよこの夜娘を連れにきたのです・・・ 小川未明 「赤いろうそくと人魚」
・・・けれど、ただ青い青い海の上に月の光りが、はてしなく照らしているばかりでありました。 娘は、また、坐って、蝋燭に絵を描いていました。するとこの時、表の方が騒がしかったのです。いつかの香具師が、いよいよその夜娘を連れに来たのです。大きな鉄格・・・ 小川未明 「赤い蝋燭と人魚」
・・・容易なだらけ切った気持ちで有るが儘の世相の外貌を描いただけで、尚お且つ現実に徹した積りでいるなど、真に飽きれ果てた話だ。こんなものが何んで現実主義といえよう。 前述の如く、純芸術的の作品が民衆に感動を与えるのは何の為めかというに、それは・・・ 小川未明 「囚われたる現文壇」
・・・とばかり、男は酔いも何も醒め果ててしまったような顔をして、両手を組んで差し俯いたまま辞もない。 女もしばらくは言い出づる辞もなく、ただ愁そうに首をば垂れて、自分の膝の吹綿を弄っていたが、「ねえ金さん、お前さんもこれを聞いたら、さぞ気貧い・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・「それがさ、お前さんをその時分よく知ってて、それから私のことも知ってるんだって」「はてね、俺が佃にいる時分、為ってえそんな奴があったかしら」「それは金さんの方じゃ知らないだろうって、自分でも言ってるんだが、何でもね、あの近辺で小・・・ 小栗風葉 「深川女房」
出典:青空文庫