・・・、やがてアセチリン瓦斯の匂いと青い灯が如露の水に濡れた緑をいきいきと甦らしている植木屋の前まで来ると、もうそこからは夜店の外れでしょう、底が抜けたように薄暗く、演歌師の奏でるバイオリンの響きは、夜店の果てまで来たもの哀しさでした。 しか・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・何のための留置かわからなかったが、やつれはてて帰ってきたお君の話で、安二郎の脱税に関してだとわかった。それならば安二郎が出頭しなければならぬのにと豹一は不審に思った。だんだんに訊いてみると、安二郎は偽せの病気を口実にお君を出頭させたのだとわ・・・ 織田作之助 「雨」
・・・どういう雨かとのお問いですが、はて、どういう雨でしょう。この小説の冒頭に「雨戸を閉めに立つと池の面がやや鳥肌立って、冬の雨であった」と書いてあります。「私」は書斎で雨を聴き、坂田翁も雨を聴いたのです。「春雨じゃ濡れて行こう」などという雨では・・・ 織田作之助 「吉岡芳兼様へ」
・・・ 精も根も尽果てて、おれは到頭泣出した。 全く敗亡て、ホウとなって、殆ど人心地なく臥て居た。ふッと……いや心の迷の空耳かしら? どうもおれには……おお、矢張人声だ。蹄の音に話声。危なく声を立てようとして、待てしばし、万一敵だった・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・呼吸はと見ると三十位しか無い「はて、おかしいぞ」と思いましたが、瞳孔を見てやろうにも私は眼が悪くてはっきり解りません。「こりゃ、ヒョットすると今晩かも知れぬ、寝て居るどころでは無い」と、直ぐ家を飛び出して半丁程離れた弟の家へ行き懐中電燈を持・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・とそれを感じることができても、身体も心も抜き差しのならない自分の状態であってみればなおのことその迷妄を捨て切ってしまうこともできず、その結果はあがきのとれない苦痛がますます増大してゆく一方となり、そのはてにはもうその苦しさだけにも堪え切れな・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・ はて恐いな。お前に恨まれたらば眠くなって来た。と善平はそのまま目を塞ぐ。あれお休みなさってはいやですよ。私は淋しくっていけませんよ。と光代は進み寄って揺り動かす。それなら謝罪ったか。と細く目を開けば、私は謝罪るわけはありませぬ。父様こ・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・此のような目に遇って居る僕がブランデイの隠飲みをやるのは、果て無理でしょうか。 今や僕の力は全く悪運の鬼に挫がれて了いました。自殺の力もなく、自滅を待つほどの意久地のないものと成り果て居るのです。 如何でしょう、以上ザッと話しました・・・ 国木田独歩 「運命論者」
・・・そのほゆる声騒がしく、とてもわれらの住み得べきにあらず、船を家となし風と波とに命を託す、安ければ買い高ければ売り、酒あれば飲み、大声あげて歌うもわがために耳傾くるは大空の星のみ――月さゆる夜は風清し、はてなき海に帆を揚げて――ああ君はこの歌・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・であり、袋路である。はてしなき迷路である。知識階級とは、この意味においては、永遠の懐疑の階級なのである。立命のためには知性そのものを超克しなくてはならぬ。知性を否定して端的に啓示そのものを受けいれねばならぬ。それは書物ではできない。その意味・・・ 倉田百三 「学生と読書」
出典:青空文庫