・・・男の無理強いをどうにも断り切れぬ羽目になったらしいと、うんざりした。 しかし、なおも躊躇っていると、「これほど言うても、飲んでくれはれしまへんか」 と男が言った。 意外にも殆んど哀願的な口調だった。「飲みましょう」 ・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・ お前は随分苦り切って、そんな羽目になった原因のおれの記事をぶつぶつ恨みおかしいくらいだったから、思わずにやにやしていると、お前は、「あんたという人は、えげつない人ですなあ」 と、呆れていた。「――まあ、そう言うな。潰してし・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・ 小心な男ほど羽目を外した溺れ方をするのが競馬の不思議さであろうか。手引きをした作家の方が呆れてしまう位、寺田は向こう見ずな賭け方をした。執筆者へ渡す謝礼の金まで注ぎ込み、印刷屋への払いも馬券に変り、ノミ屋へ取られて行った。つねに明日の・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・とむしろ開き直り、二三度押問答のあげく、結局お辰はいい負けて、素手では帰せぬ羽目になり、五十銭か一円だけ身を切られる想いで渡さねばならなかった。それでも、一度だけだが、板の間のことをその場で指摘されると、何ともいい訳けのない困り方でいきなり・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・これも真面目な勤勉な市民が羽目をはずして怠け巫山戯る日であった。これは警察の方でとうに制限を加えたようである。 どんな勤倹な四民も年に一度のお花見には特定の「濫費デー」を設けた。ある地方の倹約な商家では平日雇人のみならず主人達も粗食をし・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・しかし一人のアインシュタインを必要とした仕事の中核真髄は、この道具を必要とするような羽目に陥るような思考の道筋に探りあてた事、それからどうしてもこの道具を必要とするという事を看破した事である。これだけの功績はどう考えても否む事はできないと思・・・ 寺田寅彦 「相対性原理側面観」
・・・離れの二階は陰気だったけれど、奥の方の四畳半の窓の下へ机をすえれば、裏の家の羽目に鼻が閊そうであったけれど、けっこう仕事はできそうであった。 お絹はいつでもお茶のはいるように、瀟洒な瀬戸の風炉に火をいけて、古風な鉄瓶に湯を沸らせておいた・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・ わたくしは人に道をきく煩いもなく、構内の水溜りをまたぎまたぎ灯の下をくぐると、家と亜鉛の羽目とに挟まれた三尺幅くらいの路地で、右手はすぐ行止りであるが、左手の方に行くこと十歩ならずして、幅一、二間もあろうかと思われる溝にかけた橋の上に・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
・・・出て同君の吹聴通りをやろうとするとあたかも迂余曲折の妙を極めるための芸当を御覧に入れるために登壇したようなもので、いやしくもその妙を極めなければ降りることができないような気がして、いやが上にやりにくい羽目に陥ってしまう訳であります。実はここ・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・ゆうべ、あの枕元でぽんぽん羽目を蹴られたには実に弱ったぜ」「そうか、僕はちっとも知らなかった。そんなに音がしたかね」「あの音が耳に入らなければ全く剛健党に相違ない。どうも君は憎くらしいほど善く寝る男だね。僕にあれほど堅い約束をして、・・・ 夏目漱石 「二百十日」
出典:青空文庫