・・・ しかし中学生の分際で髪の毛を伸ばすのは、口髭を生やすよりも困難であった。それ故私は高等学校にはいってから伸ばそうという計画を樹て、学校もなるべく頭髪の型に関する自由を許してくれそうな学校を選んだ。倖い私のはいった学校は自由を校風として・・・ 織田作之助 「髪」
・・・と野袴の一人が囃す。 横の馬小屋を覗いてみたが、中に馬はいなかった。馬小屋のはずれから、道の片側を無花果の木が長く続いている。自分はその影を踏んで行く。両方は一段低くなった麦畠である。お仙の歌はおいおいに聞えなくなる。ふと藤さんの事が胸・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・口髭を生やすと歯が丈夫になるそうだが、誰かに食らいつくため、まさか。宮さまがあったな。洋服に下駄ばきで、そうしてお髭が見事だった。お可哀そうに。実に、おん心理を解するに苦しんだな。髭がその人の生活に対決を迫っている感じ、とでも言おうか。寝顔・・・ 太宰治 「渡り鳥」
・・・チェルシーの哲人と人が言囃すのは御前の事かと問う。なるほど世間ではわしの事をチェルシーの哲人と云うようじゃ。セージと云うは鳥の名だに、人間のセージとは珍らしいなと演説者はからからと笑う。村夫子はなるほど猫も杓子も同じ人間じゃのにことさらに哲・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・というものを歌って、「えとさっさ」と囃す。好いとさの訛であろう。石田は暫く見ていて帰った。 雛は日にまし大きくなる。初のうち油断なく庇っていた親鳥も、大きくなるに連れて構わなくなる。石田は雛を畳の上に持って来て米を遣る。段々馴れて手掌に・・・ 森鴎外 「鶏」
・・・「うき世の波にただよわされて泳ぐ術知らぬメエルハイムがごとき男は、わが身忘れんとてしら髪生やすこともなからん。ただ痛ましきはおん身のやどりたまいし夜、わが糸の手とどめし童なり。わが立ちしのちも、よなよな纜をわが窓のもとにつなぎて臥ししが・・・ 森鴎外 「文づかい」
出典:青空文庫