・・・ 五月雨に四尺伸びたる女竹の、手水鉢の上に蔽い重なりて、余れる一二本は高く軒に逼れば、風誘うたびに戸袋をすって椽の上にもはらはらと所択ばず緑りを滴らす。「あすこに画がある」と葉巻の煙をぷっとそなたへ吹きやる。 床柱に懸けたる払子の先・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・奇麗に平して入れてあった粟がはらはらと籠の底に零れた。文鳥は嘴を上げた。咽喉の所で微な音がする。また嘴を粟の真中に落す。また微な音がする。その音が面白い。静かに聴いていると、丸くて細やかで、しかも非常に速かである。菫ほどな小さい人が、黄金の・・・ 夏目漱石 「文鳥」
・・・吉里の眼にはらはらと涙が零れると、平田はたまらなくなッてうつむいて、深く息を吐いて涙ぐんだ。 西宮は二人の様子に口の出し端を失い、酒はなし所在はなし、またもや次の間へ声をかけた。「おい、まだかい」「ああやッと出来ましたよ」と、小・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・小娘の声にて阿唯といらえしたる後は何の話もなくただ玉蜀黍をむく音のみはらはらと響きたり。 鼻たれの兄と呼ばるゝ夜寒かな ふと眼を開けば夜はいつしか障子の破れに明けて渋柿の一つ二つ残りたる梢に白雲の往き来する様など見え渡りて夜着の・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・剣がカチャンカチャンと云うたびに、青い火花が、まるで箒のように剣から出て、二人の顔を物凄く照らし、見物のものはみんなはらはらしていました。「仲々勇壮だね。」とネネムは云いました。 そのうちにとうとう、一人はバアと音がして肩から胸から・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
・・・例えば一つのストライキを描いた作品が、文学として働く人の人間性の中に受け取られるのは、決してただ働く者ならば経験している場面がとりあつかわれているからでもないし、はらはらする筋の面白さからだけではありません。或る職場に働いて生きる人々が生活・・・ 宮本百合子 「討論に即しての感想」
・・・私ははらはらしてどうするかと見ていると、「これはまア、とんだ失礼をいたしまして、」 と、伯母は、ただ一寸雑巾で前を隠したまま、鄭重なお辞儀をしたきり、少しも悪びれた様子を示さなかった。またこの伯母は、主人がたまに帰って来てもがみがみ・・・ 横光利一 「洋灯」
・・・もたれていらっしゃる奥さまのまわりを眩く輝かさせた残りで、お着衣の辺を、狂い廻り、ついでに落葉を一と燃させて行頃何か徳蔵おじが仔細ありげに申上るのをお聞なさって、チョット俯向きにおなりなさるはずみに、はらはらと落る涙が、お手にお持なさった一・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
・・・やがてはらはらと、解けるように花が開いてしまう。この時には何の音もしない。最初二ひら三ひら開いたときには、つい見ていなかったのではあるが、しかし側にいたのであるから、音がすれば聞こえたはずである。どうも音なんぞはしないらしい。 それでは・・・ 和辻哲郎 「巨椋池の蓮」
・・・ 夏の夕暮れ、ややほの暗くなるころに、月見草や烏瓜の花がはらはらと花びらを開くのは、我々の見なれていることである。しかしそれがいかに不思議な現象であるかは気づかないでいる。寺田さんはそれをはっきりと教えてくれる。あるいは鳶が空を舞いなが・・・ 和辻哲郎 「寺田寅彦」
出典:青空文庫