・・・家内中が、流行性感冒にかかったことなど一大事の如く書いて、それが作家の本道だと信じて疑わないおまえの馬面がみっともない。 強いということ、自信のあるということ、それは何も作家たるものの重要な条件ではないのだ。 かつて私は、その作家の・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・と言いたげな、叡智の誇りに満ち満ちた馬面に、私は話しかける。「そうして、君は、何をしたのです。」 作家は小説を書かなければいけない そのとおりである。そう思ったら、それを実際に行うべきである。聖書を読んだからといって・・・ 太宰治 「碧眼托鉢」
・・・第二次の実験は隅田川の艇庫前へ持って行ってやったのだが、その時に仲間の一人が、ボイラーをかついで桟橋から水中に墜落する場面もあって、忘れ難い思い出の種になっている。 墜落では一つの思い出がある。三年生の某々二君と、池の水温分布を測った事・・・ 寺田寅彦 「池」
・・・それはとにかく、このヘリオトロープの信号は少なくも映画や探偵小説の一場面としてはこれも一遍だけは適当であろう。「モナリザの失踪」という映画に、ヒーローの寝ころんで「ナポレオンのイタリア侵入」を読んでいる横顔へ、女がいたずらの光束を送ると・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
・・・従って観客はもはや傍観者ではなくてみずからその場面の中に侵入し没入して演技者の一人になってしまうのである。それで、おもしろいことには、劇や舞踊の現象自身は三次元空間的であるにかかわらず、観客の位置が固定しているためにその視像は実に二次元的な・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・女が空中から襲って来て「妖女はその馬の前足をあげて被害の馬の口に当ててあと足を耳からたてがみにかけて踏みつける、つまり馬面にひしと組みつくのである」。この現象は短時間で消え馬はたおれるというのである。この二説は磯氏も注意されたように相互に類・・・ 寺田寅彦 「怪異考」
・・・二人の間に忽ち人情本の場面がそのまま演じ出されるに至ったのも、怪しむには当らない。 あくる日、町の角々に雪達磨ができ、掃寄せられた雪が山をなしたが、間もなく、その雪だるまも、その山も、次第に解けて次第に小さく、遂に跡かたもなく、道はすっ・・・ 永井荷風 「雪の日」
・・・、足台をだんだん高くさせたり、また、男と女とがカルタの勝負を試み、負ける度びに着ているものを一枚ずつぬいで行き、負けつづけた女が裸体になって、遂に危く腰のものまで取る段になって、舞台は突然暗転して別の場面になる。これらはその一例に過ぎない。・・・ 永井荷風 「裸体談義」
・・・の如き場面であろう。けれども、それらの錦絵も芝居の書割も決して完全にこの珍らしい貴重なる東洋固有の風景を写しているとは思えない。 寒月の隈なく照り輝いた風のない静な晩、その蒼白い光と澄み渡る深い空の色とが、何というわけなく、われらの国土・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・信州の宿屋の一こま、産婆のいかがわしい生活の一こま、各部は相当のところまで深くつかまれているけれども、場面から場面への移りを、内部からずーと押し動かしてゆく流れの力と幅とが足りないため、移ったときの或るぎこちなさが印象されるのである。 ・・・ 宮本百合子 「「愛怨峡」における映画的表現の問題」
出典:青空文庫