・・・二葉亭の言分を聞けば一々モットモで、大抵の場合は小競合いの敵手の方に非分があったが、実は何でもない日常の些事をも一々解剖分析して前後表裏から考えて見なければ気が済まない二葉亭の性格が原因していた。一と口にいえば二葉亭は家庭の主人公としては人・・・ 内田魯庵 「二葉亭追録」
・・・ 私は詩碑の背面に刻みこまれている加藤武雄氏の碑文を見直した。それは昭和十一年建てられた当時、墨の色もはっきりと読取られたものであるが、軟かい石の性質のためか僅か五年の間に墨は風雨に洗い落され、碑石は風化して左肩からはすかいに亀裂がいり・・・ 黒島伝治 「短命長命」
・・・ある地方では明治二十九年の災害記念碑を建てたが、それが今では二つに折れて倒れたままになってころがっており、碑文などは全く読めないそうである。またある地方では同様な碑を、山腹道路の傍で通行人の最もよく眼につく処に建てておいたが、その後新道が別・・・ 寺田寅彦 「津浪と人間」
・・・ 石を囲した一坪ほどの水溜りは碑文に言う醴泉の湧き出た井の名残であろう。しかし今見れば散りつもる落葉の朽ち腐された汚水の溜りに過ぎない。 碑の立てられた文化九年には南畝は既に六十四歳になっていた。江戸から遠くここに来って親しく井の水・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・堤上桜花の沿革については今なお言問の岡に建っている植桜之碑を見ればこれを審にすることができる。碑文の撰者浜村蔵六の言う所に従えば幕府が始て隅田堤に桜樹を植えさせたのは享保二年である。ついで享保十一年に再び桜桃柳百五十株を植えさせたが、その場・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・石を建ててもらいたい。彼自然石という薄ッぺらな石に字の沢山彫ってあるのは大々嫌いだ。石を建てても碑文だの碑銘だのいうは全く御免蒙りたい。句や歌を彫る事は七里ケッパイいやだ。もし名前でも彫るならなるべく字数を少くして悉く篆字にしてもらいたい。・・・ 正岡子規 「墓」
・・・新聞紙のために古人の伝記を草するのも人の請うがままに碑文を作るのも、ここに属する。何故に現在の思量が伝記をしてジェネアロジックの方向を取らしめているかは、未だまったくみずから明かにせざるところで、上にいった自然科学の影響のごときは、少くも動・・・ 森鴎外 「なかじきり」
出典:青空文庫