・・・梅蘭芳の芝居で聞いたような支那音楽を奏し乍ら、披露めやが横通りを通った。直ぐその下を私が通りがかりつつある一八〇〇年代の建造らしい南欧風洋館の廃れた大露台の欄干では、今、一匹の印度猿が緋のチョッキを着、四本の肢で一つ翻筋斗うった。・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
・・・ 後室の披露ははじまった、男君は誰よりも一番女君の歌のよいようにと祈って居た。自ぼれの強い女がこれならと自信をもって居た歌が一も二もなくとりすてられたのをふくれてわきを向いて額がみをやけにゆらがす女もあるし意外のまぐれあたりに相合をくず・・・ 宮本百合子 「錦木」
・・・印度の港で魚のように波の底に潜って、銀銭を拾う黒ん坊の子供の事や、ポルトセエドで上陸して見たと云う、ステレオチイプな笑顔の女芸人が種々の楽器を奏する国際的団体の事や、マルセイユで始て西洋の町を散歩して、嘘と云うものを衝かぬ店で、掛値と云うも・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・ そのうち刀が出来て来たので、伊織はひどく嬉しく思って、あたかも好し八月十五夜に、親しい友達柳原小兵衛等二三人を招いて、刀の披露旁馳走をした。友達は皆刀を褒めた。酒酣になった頃、ふと下島がその席へ来合せた。めったに来ぬ人なので、伊織は金・・・ 森鴎外 「じいさんばあさん」
・・・便便として為すところなき梶自身の無力さに対する嫌悪や、栖方の世界に刃向う敵意や、殺人機の製造を目撃する淋しさや、勝利への予想に興奮する疲労や、――いや、見ないに越したことはない、と梶は思った。そして、栖方の云うままには動けぬ自分の嫉妬が淋し・・・ 横光利一 「微笑」
・・・そうしてこの禅の体得ということも、日本文化の一つの特徴として、今でも世界に向かって披露せられている点である。そうしてみると、これらの三つの点だけでも、応永時代は延喜時代よりも重要だと言わなくてはなるまい。 もっとも、この三つの点以外であ・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・そのころは幕がおりてから、役者が幕外へ明晩の芸題の披露に出る習慣であったが、祖父はこの披露をしたあとでしばしば自分の身の上話やおのろけや愚痴などを見物に聞かせた。見物はそれを喜んで聞くほどに彼を愛していたのだそうだ。この祖父を初めとして一族・・・ 和辻哲郎 「エレオノラ・デュウゼ」
・・・創作家の場合には、精神的疲労のために、そういう折檻が癇癪の爆発の形で現われやすいであろう。しかしその欠点は母親が適当に補うことができる。純一君の場合は、母親がこの緩和につとめないで、むしろ父親の癇癪に対する反感を煽ったのではなかろうか。その・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
出典:青空文庫