・・・これでもお前様たちがはいってピンと片づけてみなせ、けっこうな住家になるで。在郷には空いてる家というものはめったにないもんでな、もっとも下の方に一軒いい家があるにはあるが、それがその肺病人がはいった家だで、お前様たちでは入れさせられないて、気・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・ 何れにせよ、自分の性質には思い切って人に逆らうことの出来る、ピンとしたところはないので、心では思っても行に出すことの出来ない場合が幾多もある。 ああ哀れ気の毒千万なる男よ! 母の為め妹の為めに可くないと思った下宿の件も遂には止め終・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・ さまざまな化粧品や、真珠のはまった金の耳輪や、蝶形のピンや、絹の靴下や、エナメル塗った踵の高い靴や、――そういう嵩ばらずに金目になる品々が、哈爾賓から河航汽船に積まれて、松花江を下り、ラホスースから、今度は黒竜江を遡って黒河へ運ばれて・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・身体中に神経がピンと緊しく張ったでもあるように思われて、円味のあるキンキン声はその音ででも有るかと聞えた。しかしまたたちまちグッタリ沈んだ態に反って、「火はナア、……火はナア……」と独り言った。スルト中村は背を円くし頭を低くして近々・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・ダグラス卿とあとの四人との間でロープはピンと張られました。四人はウンと踏堪えました。落ちる四人と堪える四人との間で、ロープは力足らずしてプツリと切れて終いました。丁度午後三時のことでありましたが、前の四人は四千尺ばかりの氷雪の処を逆おとしに・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・――それは笑いながらいったのですが、然しこんなに私の胸にピンと来たことがありませんでした。これは百の理窟以上です。 娘は次の日から又居なくなり、そして今度という今度は刑務所の方へ廻ってしまったのでした。私は今でもあの娘の身体のきずを忘れ・・・ 小林多喜二 「疵」
・・・訳者、鴎外も、ここでは大童で、その訳文、弓のつるのように、ピンと張って見事であります。そうして、訳文の末に訳者としての解説を附して在りますが、曰く、「地震の一篇は尺幅の間に無限の煙波を収めたる千古の傑作なり。」 けれども、私は、いま、他・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・北側の入口には赤と黒との縞のよごれたモスリンのカアテンがかけられ、そのうえの壁に、沼のほとりの草原に裸で寝ころんで大笑いをしている西洋の女の写真がピンでとめつけられていた。南側の壁には、紙の風船玉がひとつ、くっついていた。それがすぐ私の頭の・・・ 太宰治 「逆行」
・・・この傘には、ボンネット風の帽子が、きっと似合う。ピンクの裾の長い、衿の大きく開いた着物に、黒い絹レエスで編んだ長い手袋をして、大きな鍔の広い帽子には、美しい紫のすみれをつける。そうして深緑のころにパリイのレストランに昼食をしに行く。もの憂そ・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・ 何でも、眉山の家は、静岡市の名門で、……」「名門? ピンからキリまであるものだな。」「住んでいた家が、ばかに大きかったんだそうです。戦災で全焼していまは落ちぶれたんだそうですけどね、何せ帝都座と同じくらいの大きさだったというんだか・・・ 太宰治 「眉山」
出典:青空文庫